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ウラジオ発:異色なカフェの異才のオーナー リュシュキ・セルゲイ・アナトリエヴィチさん

若者向けのポップなカフェが並ぶ噴水通りで1店、店内がなんとも芸術と神秘さで埋め尽くされた独特のカフェレストラン「S・INTENTO」がある。綺麗な絵画や写真があると思いきや、マヤ文明らしい装飾品も飾られ、厳選された音楽もかかり、とりあえず濃い空間になっている。これを運営するのは特異な経歴をもつラリュシュキ・セルゲイ・アナトリエヴィチさん(Ларюшкин Сергей Анатольевич)。今回はこの独特な空間のベースにある考えや、ここに至る経緯などを教えていただきました。
 
 

 
 
–セルゲイさんはウラジオストクのご出身ですか?
生まれたのはレニングラード、今のサンクトペテルブルグです。その後、両親の仕事の関係でウラジオストクに移ってきました。生まれのサンクトペテルブルグ時代と2014年~2019年の5年間モスクワにいたのを除いてはずっとウラジオストクです。
 
 
–学生時代は何を専攻されていたのですか?
私はソ連時代の1981年に医学部に入学しました。
 
 
–卒業後はお医者さんになられたのですか?
はい、卒業後は内科医として5-6年勤務しました。
 
 
–内科医をやめられて何をされたのですか?
1992年からプロの空手家になりました。空手は1979年から始めており、まずまずのレベルになっており、内科医をやめて、プロの空手家一本で生活していこうと思い、実際に空手家として収入を得ていました。1992年から1998年はプロの空手家時代です。沿海州では1番でしたし、ロシア国内はもちろん、スウェーデンなどの海外にも遠征で行きました。
 
 
–空手はどこで学ばれたのですか?
当時はJKA(日本空手協会)というのがあり、ウラジオストクにもJKAに所属する正道会SATORI(悟り)という空手クラブがありました。私はそこで1979年から学んでいました。しばし日本からも師範たちがお越しになり、特にASAI先生はよく来て指導してくださりました。
 
 
       
 
 
–空手家をやめられて何をされたのですか?
空手と並行で1994年にビジネスを始め、2001年まではインドネシアの家具用木材を輸入していました。
 
 
–そこからどのようにコーヒーにつながるのですか?
1990年にアメリカのクリントン大統領とロシアのエリツィン大統領が、アメリカがロシアの経済発展を支援することで合意し、そのようなビジネス支援がアメリカよりロシアで展開されていました。その1つがアメリカ流の最先端ビジネスをロシア人に教えるというものです。私は1998年にアメリカにわたりナジェージュダ・クリロフ(カリフォルニア州知事顧問)という世界的なロシア人系アメリカ人にビジネスを習う機会に恵まれました。この先生のおかげでロシアの中にも優れたビジネスが生まれるようになりました。今でも私はこの先生に心から感謝しています。そのような最中にアメリカシアトルを訪れた時に衝撃を受けコーヒー文化にとりつかれるようになりました。
 
 
                     セルゲイさんは今もアメリカ人ナジェージュダ先生への感謝を忘れない
 
 
–シアトルでどのような衝撃を受けられたのですか?
シアトルはカフェが沢山ありますが、そこで皆が楽しく、平和に過ごす光景が私にとっては衝撃的でした。こうやってカフェで過ごすような日常こそが民主主義や平和のシンボルではないかと。1917年のロシア革命に始まり、ソ連時代というのは私の視点からすると何百万の優秀なロシア人を海外へ追いやった良くない時代です。そのような時代ではなく、カフェ文化をロシアにも根付かせて、ロシアを良い民主的なものにもっていけないかと。歴史というのは一部の偉大な人や政府が作るというより、庶民が作るというのが私の考えで、私は偉大でないけど、カフェ文化でロシアをよい方向にもっていきたいと強く感じました。アメリカでも一般庶民は極めて親切、いい人ばかり、そんな一般の人たちが集まるのがカフェでありカフェ文化をロシアでも展開できればと思ったわけです。
 
 
                   人々が集い、楽しくすごすシアトルのコーヒー文化は民主主義としてセルゲイさんの心に響く
 
 
–それでウラジオストクでカフェを始めたのですか?
はい。2003年にセミョーノフスカヤ通り21でカフェ「Оахака(オアハカ)」を開きました。人気も知名度も最高で2009年まで営業していました。今もそこは私達のオフィスとして使用しています。
 
 
                            当時ウラジオで一世風靡したカフェは今はオフィス
 
 
–オアハカとはどういう意味ですか?
これはメキシコの都市の名前です。私が大好きな国で何度も訪れたメキシコの都市です。今のこのお店「S・INTENTO」にもメキシコの装飾品を沢山飾っていますが、本当に好きなんです。
 
 
                             メキシコでセルゲイさんが撮影した写真
 
 
                                メキシコから持ってきている装飾品たち                    
 
 
–そのうまくいったカフェをストップされ何を始められたのですか?
カフェ形態を一度やめ、コーヒー豆とコーヒー焙煎機、グラインダー等を業務用に卸業に集中することにしました。うちで扱っているコーヒーはClimbaliです。今もこの卸業務は続いています。
 
 
–そのよう卸業務の次はどうされたのですか?
卸業務の展開で2014年からモスクワに私は移りました。2019年まで5年間モスクワ生活です。
 
 
–モスクワはセルゲイさんにとってどのような場所ですか?
最高に素晴らしい場所です。そして何せ人の良さが突出しています。モスクワ人は一般的にちょっとスノッブで偉そうなイメージがありますが、私の視点ではそうではありません。モスクワ人はとても柔らかく、明るく、丁寧、そして成熟しています。ウラジオストクの人々も快活で率直でいいですが、私の視点ではモスクワ人は素晴らしいです。医学、心理学的な見地からする、彼らには赤の広場クレムリンは俺たちの場所にある、俺たちがロシアをコントロールしているという気が潜在的にあると思います。そこから来ている安心感というのでしょうか。
 
 
–それほど好きなモスクワなのになぜウラジオストクへ戻ってこられたのですか?
モスクワに住んでいる間にカフェを回りましたが、ウラジオストクで私が運営していた「Оахака(オアハカ)」ほどのものがなかったのです。モスクワにいつかはオアハカのようなものを作らねばと思うようになりました。そのためにはまずオアハカのようなお店をウラジオストクで再生させ、ウラジオストクでチェーン展開する必要があります。そういうわけでウラジオストクに戻り2019年にこの「S・INTENTO」をOPENさせたのです。
 
 
                                2019年にOPENしたS・INTENTO
 
 
–やっと今のお店にの話に行きつきましたが、このお店のコンセプトを教えてください?
このカフェ&レストランには私の全てが入っています。壁は全て私が描き、店内にかかっている油絵や写真もすべて私が手がけました。メニューの写真も私の作品です。装飾品は主にメキシコのものです。音楽もこだわっており、接客にも空手の間合いや心理学を取り入れ、1つの芸術的な劇場を作り上げています。4人の責任者を置いており、厨房はアレクサンドル、バーはセミョーン、デザートは私の妻オリガ、そして私がカフェの責任者です。カフェ責任者である私は、日曜日に店頭に立ちます。
 
 

 
 

 
 
                            店内の内装から絵画、メニューまで全てセルゲイさんの作品
 
 
–素晴らしい絵や写真はどちらでいつから勉強されたのですか?
2005年から今は亡きリヴァチュック・イヴァン先生(Рыбачуг Иван)という芸術家に師事しました。写真は2004年からの独学です。
 
 
                             ロシア全土でも著名な先生に師事し絵画の腕を磨く
 
 
–カフェ部門や接客ではどのようなことを心がけていらっしゃるのですか?
当店ではお客さんとの対話を通じて、お客さんの気分、感情を読み取り、そのお客さんの気分がよくなるようなコーヒーを1人1人に作るようにしています。いろいろ質問したりしますが、定番の質問は「頭の中に浮かぶ5つのモノ」という質問です。お客さんの頭に浮かぶ5つのモノを言ってもらいます。そしてその5つをキーワードとして私を含めた当店の店員が、そこから心情や気分を読み取り、リキュールなどアルコール、スパイスも用いて、カクテルのようなコーヒーを作ります。このようなお客さんと店員側のやりとり、そして提供されるコーヒーを通じて、お客さんは日常の雑事を忘れ、自分の内面が本当に欲しているものに関心が向かうようになります。こういう心理的なプラス効果を目指しています。またお客さんとの距離の取り方には空手の間合いを取り入れ、お客さんが一番心地よい距離感を保つように心がけています。当店の従業員研修には空手の組手を練習する時間もあります。
 
 
                  心理学博士のようにお客さんとのコミュニケーションを通し、お客さんの気持ちが良くなる1杯を決める
 
 
                           時にはスパイスやリキュールも使い最高の1杯を作る
 
 
–お客さんによっては質問されるのを面倒がる人もいるのではないですか?
ただ単に注文される方もいますし、自分の心を開放したくない人もいらっしゃるので、そのお客さんが希望されるのを尊重しています。お客さんが心地よいように対応します。
 
 
–セルゲイさんの医者、空手家、芸術家、経営者としての多彩さと遍歴はご自身でどう思われますか?
よくわからないですが、おそらく欲張りなんでしょう。そして私個人としては、このように職業を変えていくことはとても素晴らしいことだと思っています。職業を変更していくことは「自由や悟りへの道」です。色々な職業をやっていると、自分は医者なのか、空手家なのか、経営者なのか、何者かわからなくなってきます。その境地が大事なんだと思います。そしてそうなったときはじめて神的なものに触れることができます。もちろん日本で有名な数寄屋橋次郎さんのように寿司一本で生きていき、そのような境地になることはあると思います。どちらも最終地点は同じで、1つを貫くのも認めますし素晴らしいとおもいます。ただ私はどんどん変更するのがいいと思っております。
 
 

 
 
–セルゲイさんの活動には日本の影響もあるのですか?
もちろんです。日本は医者時代に2回訪れただけですが、空手を通じて日本の精神を学びました。私に大きな影響を与えた国の1つが日本です。日本からは魂、精神を学びました。S・INTENTOの意味は「悟りを志す」でこれも日本の概念です。そしてメキシコからは神秘性を、アメリカからはビジネスを学ばせてもらいました。
 
 
                          エプロンにもあるSのマークは「悟り」のS
 
 
–今後のプランや方向性をお聞かせください。
このS・INTENTカフェ&レストランを通じて、ロシアの発展と平和に貢献していきます。そして私個人としては、何度か言ったように、悟りであり空「クウ」の境地に近づいていければと思います。

 
追記:セルゲイさんの従業員教育方法についてマネージャーのソフィアさん(София)に伺ってみました。
 
 
–セルゲイさんの従業員教育について教えてください。
私はここで働いて8か月くらいになりますが、当初は社長のおっしゃることがよく呑み込めませんでした。そして少しずつ訓示を受けるにつれて、だんだんと私自身の心がそれを吸収するようになりました。この8か月で私の気持ち、内側がとても研ぎ澄まされ、成長したのを感じます。
 
 

 
 
–ソフィアさんもお客さんの心理を読みながらコーヒーをできるのですか?
入社当初は、全くできませんでしたが、心を研ぎ澄まし、お客さんの心に寄り添うことで作れるようになりました。仕事や家庭で悩んだり、気分の晴れないお客さんが私とのやり取りや、1杯のコーヒーを通じて、元気になり、心が晴れてくれると本当に嬉しいものです。そしてそういうお客さんを沢山見れるのが私のコーヒーづくりの励みになっています。単にコーヒーを売るというのでなく、少しお医者さんみたいな感じですが、私はこの仕事につけて良かったと思います。
 
 
                               ソフィアさんの一杯で顔に笑みがこぼれるお客さん
 
 
医者、プロ武道家、芸術家、バリスタ、経営者として天賦と思われる才能を発揮し、すべての経験をお店に注入するセルゲイさん。お客さんとのやり取りを拝見すると、そこでは医師のような傾聴があり、心理学博士のような分析、そしてベテランバリスタとしての手作業があり、作る最中には武道のような集中、そして出来上がりには芸術家のような面を見せてくれる。セルゲイさんの天賦の才とロシアへの貢献の思いがどんな風に発展していくのが非常に楽しみです。
 

お店の紹介(セルゲイさんは日曜のみ):http://urajio.com/item/365

ウラジオ発:カフェ「リグルスコーヒー」(英語名:REGULUS COFFEE)

ウラジオストク経済サービス大学とスーパーサンベリーのそばにある小さなカフェ。インテリアに凝っており、本棚にはオーナーエブゲニーさんの好きな星の王子様の本やソーサーが飾られている。コーヒーの味も飲食店関係者に定評ある。

日本語名:リグルスコーヒー
英語名:REGULUS COFFEE
平均予算:200~500ルーブル
メニュー表記:ロシア語

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ウラジオ発:ロシア伝統薬草茶店 2代目店主 アレクサンドル・レオニドーヴィチさん

ロシアで伝統的に受け継がれる薬草を煎じて販売し、ウラジオストクのみならずロシア全土でもファンのいるお店「トラブニック」。その2代目として、経験、知識、そして心意気を守り続けるのがアレクサンドル・レオニドーヴィチさん(Александр Леонидович)。今回はお店の歴史や初代であるお父様ニコライ・ドミトリーヴィッチさん(Николай Дмитриевич)のこと等について伺ってみました。
 
 

 
 
–アレクサンドルさんはどちらのご出身ですか?
私はシベリア中央部のクラスノヤルスクというところで1963年に生まれました。後に父の仕事の関係でウラジオストクに移ってきました。
 
 
–アレクサンドルさんは小さい頃から薬草の勉強をされていたのですか?私はソ連時代に骨接ぎの学校を卒業し、骨接ぎや整体の仕事を30歳までしていました。ソ連が崩壊して個人事業が始められるようになり、父が現在の薬草店を始めたため、骨接ぎをやめ父の薬草事業を手伝うようになりました。父のお店を手伝いながら、父からも教えを受け、勉強していきました。
 
 

 
 
–初代であるお父さんがお店を始めた経緯を教えて頂けますか?
父自体はソ連時代にエンジニアとして仕事していましたが、父の兄弟親戚は医療関係者が多く小さい頃から薬草に興味をもっていました。私の祖母にあたる父のお母さんが薬草に詳しく、父も関心をもって祖母から吸収していたそうです。父はエンジニアの仕事をしつつも、ロシアじゅうの森林を巡り、薬草をとっては身体の調子の悪い人に煎じてタダで渡していました。薬草で人々の身体を良くすることにとても喜びを感じており、年金暮らしになったら、薬草で人々を幸福にするのを夢見ていました。50過ぎで父は早めの年金生活者となり、ソ連崩壊で個人事業が許可されるようになったので今の噴水通りあたりで小さい露店を開くようになりました。
 
 
                          薬草で人々へ貢献することを夢にお店を開いた父ニコライさん
 
 
–お店はすぐに繁盛されたのですか?
父はお客さんの顔を見るだけですぐに具合の悪い場所を当て、的確に煎じる治療者として有名でした。すでにソ連時代から無料で配ったりもしていたので、口コミで父の存在自体は知れ渡っており多くの人が訪れてくれました。私が言うのもなんですが、父の能力と薬草で人助けするという情熱は神が与えてくれたものとしか言いようがなく、そこに人が自然と集まってくるような感じでした。
 
 
–お父さんはどういう生活を送っていられたのですか?
金土日は露店を出してお客さんを相手にして、平日は沿海州のタイガやロシアじゅうの森を歩き草を摘んでいました。とりあえず歩くのがすごくて、多い時は1日に70kmも歩いていたりしました。父は薬草だけでなく朝鮮人参取りにも精を出していました。父は2014年に80歳で市場でこけてそのまま亡くなってしまいましたが、それまではずっと薬草に全てをささげていました。
 
 
                     父ニコライさんは最晩年まで店頭に立ち庶民の健康を助け今もお客さんに語り継がれる
 
 
–アレクサンドルさんは30歳からお父さんを手伝うようになったのですね?
はい、父の仕事全般を手伝いました。ただ煎じることだけは15年間タッチしていませんでした。煎じて人に販売するということは、場合によってはお客さんが死亡することもあるわけです。私は基本的な医療知識をもっていたので、その怖さはよく知っています。
15年間は煎じることはなく、40過ぎから覚悟と責任を自分に課して煎じるようになりました。
 
 

 
 
-薬草を販売するお店は結構ありますが、そんなに重い職業なんですね?
ロシアじゅうに私達のようなお店は結構ありますが、うちのように行っているおところは皆無かと思います。うちは人々を助けたいという一身で、医者のような意識でおこなっていますから、異なるとは思います。法律の関係上「治す」という言葉は使うことができませんが、意識の上では治療するという思いです。
 
 
–アレクサンドルさんはどのように薬草の勉強されているのですか?
薬草そのものや調合については、父から教わったものや自分が本などで勉強したものがベースです。ただし、それはあくまで知識のベースであって、お客さんの反応、つまり実際に効果があったかなどを書き留め、知識と接客で得た経験を統合しています。そのため私達の仕事は経験によるところが大きいのです。インターネットの知識だけでは対処できません。
 
 

 
 
-アレクサンドルさんお父さんのような生活を送られているのですか?
私など父には到底到底及ばず、大人と赤ちゃんくらいの違いがあると思っています。ただ父の人々を助けたいという気持ちは次ぎたいと、自然と思うようになり私も休みなく今の事業をしています。事業そのものが私の生活であり人生なので特に休みは必要ないです。
 
 
–お店には何種類くらいの薬草があるのですか?
50種類くらいかと思います。
 
 

 
 
–薬草は森で取ってくるのですか?
50種類のうち10種類くらいは自分の土地で育てています。残りはタイガに入って取ったり、ロシアの西方やカフカスの森から送ってもらったりしています。カフカス地方には仲間がおり、沿海州で手に入らないものとカフカスで手に入らないものをお互いが交換しているんです。因みに今は森で自由に薬草をとることはできないので、きちんと許可をとり摘むようにしています。
 
 

 
 
–大変なお仕事で後継ぎ候補はいらっしゃるのですか?
父もそうでしたが、この仕事への向き不向きは天賦のものです。私には2人の子供がいますがそれぞれ独自の道を行っていますし、それでいいと思います。休みなく薬草にかかわり、森に入り、店頭に立つというような生活は、神がそういう性質を人に与えてくれない限りはなかなか続きません。また薬草の知識と経験は、私が教え込むというものではなく、本人が主体的に勉強していかなければいけません。誰かが引き継げばいいと思いますし、今うちで働いているイゴリなんかも熱心で将来継げるかもしれませんが、こればかりは神にしかわからないです。
 
 
–最後にこのお仕事の喜びについて教えてください。
父は国内のみならず外国に住むロシア人をも薬草で助け、今でもロシア全土、海外からも連絡をいただきます。最近はドイツとブラジルから連絡をいただきました。ウラジオストクに来たついでに寄ってくれる人も多いです。その他、うちのことを聞きつけてわざわざ韓国人や中国人が来てくれたりもします。普段は結構淡々と仕事しているので、こういうのは嬉しいですし、そういうのを励みに今後も薬草で特に身体のすぐれない人を助けていきたいと思います。

お父さんとその偉大さ、人々への貢献を楽しい調子で話してくれるアレクサンドルさん。そこのお店が今後も続いていけば、お父さんとアレクサンドルさんの人々への貢献の気持ちや、ロシア薬草の伝統が保存されていくにちがいありません。

お店の紹介:http://urajio.com/item/1285
      http://urajio.com/item/1395
      

ウラジオ発:セルビア料理レストラン「メシャノ メスタ」(ロシア語名:Мешано Место)

黒猫のいるホテル「Sibirskoe Podvorie」のすぐ横にOPENしたセルビア料理のお店。セルビア人シェフ2名を合わせて合計5名のセルビア人が常駐する。セルビアからわざわざ取り寄せているお肉で作る料理がお店のメイン。ワインもセルビア産のものも展開、自家製アルコールも置いている。シェフのマルコさんはロシア全土でシェフ経験のある実力者。

日本語名:メシャノ メスタ
ロシア語名:Мешано Место
平均予算:1500~2000ルーブル
メニュー表記:ロシア語、英語

セルビア人マネージャー ゴランさんのインタビュー:http://urajio.com/item/1940

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ウラジオ発:夫婦で切り盛りアルメニア料理店 奥さん オフェリャ・ボローヴナさん

ウラジオストク市内のアルメニア料理店が郊外にある中、市内中心部で営業し、地元オフィスワーカーに人気のお店が「シャシリーチニー ドゥヴォール」。このお店はアルメニア人の夫婦で切り盛りされているが、今回は奥さんのオフェリャ・ボローヴナさん(Офеля Боровна)にウラジオストクに来た経緯やアルメニアについて伺ってみました。
 
 

 
 
–オフェリャさん夫婦はいつウラジオストクに来られたのですか?
4年前の2016年にウラジオストクにやってきました。まずは夫が先に来て、その1か月後に私と2人の息子、そして夫の両親でこちらに来ました。
 
 
–家族全員で移住は大変ではなかったですか?
アルメニアではよくあることなので私達夫婦や子供はそれほど大変だという感じはしていません。ただ夫の両親はよくアルメニアに戻りたいといいますけどね。
 
 
–今のお店を始める経緯を教えていただけますか?
ウラジオストクに来て3年間は夫も私も別々のアルメニア料理店でコックとして働いていました。3年間でお金が少したまったので、夫と2人で今のお店を始めるようになりました。オープンしたのは1年前です。2人だけで協力して切り盛りしているのでなんか親友のようなそんな感じで仕事しています。
 
 

 
 
–ウラジオストクのアルメニア人はアルメニア料理店を経営することが多いのですか?
そうとも限らないです。建築業をしたり、貿易をしたり、人それぞれです。うちはたまたまレストランをしたというだけです。
 
 
–ウラジオストクにはアルメニア人は沢山いるのですか?
アルメニア教会があるくらいなので、結構いると思いますよ。ウラジオストクには1か所だけアルメニア教会があるのですが、土日は多くのアルメニア人が集まります。アルメニア人は100%アルメニアキリスト教会の信者なので教会がコミュニティーになっています。
 
 

 
 
–お店で提供されている料理について少し御聞かせいただけますか?
うちのお客さんはロシア人以外にもウズベキスタン人も結構多いので、アルメニア料理を基本としつつも、ロシア料理、ウズベキスタン料理も多く提供しています。よく売れるプローフ(ピラフ)は完全にウズベキスタン風です。うちで提供しているアルメニア料理でよく売れるのはブドウの葉で肉を包んだトルマ、定番のシャシリク、味付けビーフーハムのようなバストゥルマです。
 
 

 
 

 
 
–アルコール類もあるのですか?
アルメニア産のウォッカ、そして世界でも定評のあるアルメニアワインも置いています。
 
 
–アルメニア文化とロシア文化での違いを教えていただけますか?
アルメニアは男性の発言が絶対です。たとえば夫が何か私にいえば、私はそれに従います。ロシアではおそらく女性発言が男性よりも強いと思います。またアルメニアでは一度結婚したら、お互いがその人と添い遂げるというのが伝統的で根強い価値観です。ロシアでは何度となく離婚するケースをよく見かけますが、そういうことはアルメニアでは非常に稀です。
 
 
–アルメニア人の生活で一番重要なことは何でしょうか?
アルメニアには家を建て、木を植え、それを次の世代に残していく。次の世代は、また同様に家を建て、木を植えというのを繰り返していく。今私達夫婦がレストランをしているのも私達のためではなく次の世代のためです。これが私の考えるアルメニア人的な生き方です。
 
 

 
 
–今後もウラジオストクに根付いていかれるのでしょうか?
未来のことはまったくわかりませんが、うちの家族は皆ウラジオストクが好きなので、とりわけ他の地に行くということは考えていません。
 
 
–ウラジオストクで好きな場所について教えていただけますか?
正直なところ、家事も仕事もあって忙しいのであまりどこか行くというのはありません。ただアルメニア教会に行くのは好きで、お祈りすると気分がすっきりしますね。

12000kmも離れた温暖な地から両親も含め一家丸ごと移住されるというたくましさを感じさせてくれるオフェリャさん。夫のアルシャックさん(Аршак Галстян)との温かいお店を末永く続けていただきたいものです。
 
 

お店の紹介:http://urajio.com/item/0394

ウラジオ発:ロシア全土のセレクト土産店店主 オリガ・アルダさん

アルセーニエフ博物館前の地下道で、ちょっと目を引く器や布製品などを扱うお店「デコルマーケット」。最近は多くのガイドブックに掲載され、旅行者も頻繁に訪れるお店となっている。同店で店頭に立ち接客するのはオーナーでもあるオリガ・アルダさん(Ольга Арда)。オリガさんに開店に至った経緯や、どのように商品を展開しているか、今後の展開等について伺ってみました。
 
 

 
 
–オリガさんはどちらの出身ですか?
私はウラジオストクで生まれました。母はヴォーラグダという首都モスクワに近い場所の出身です。
 
 
–お店をオープンされたのはいつですか?
2017年にオープンしたので、3年が過ぎました。
 
 

 
 
–オープンされる前は何をされていたのですか?
17年間ロシアから離れて、ブルガリアとトルコのロシア領事館併設学校でロシア語の教師をしていました。対象はブルガリアとトルコにいるロシア人の子供たちです。
 
 
–なぜ教師の仕事を辞めてウラジオストクでお店を始めようと思ったのですか?
ウラジオストクに戻った時は、特にお土産屋をやろうとは考えてもいませんでした。色んな選択肢があったのですが、プレゼント商品屋をはじめようかなと思って、とりあえず始めました。その時は地元ロシア人だけを対象に考えていました。その後、少し変わって、ロシア全土の厳選され、綺麗で上質な日用品を置くようになりました。
 
 
–それからどのように今のような旅行者志向のお土産屋になったのですか?
私はずっと海外に住んでいました。ブルガリアとトルコの生徒からはいつもマトリョーシカが欲しいとお願いされ、17年間マトリョーシカを彼らのためにロシアで買い続けました。彼らはこんなにもマトリョーシカが欲しいのかと思ったものです。その時にお土産としてのマトリョーシカの魅力、そして外国人の求める感覚というのが自然と身についていました。それともう1つ大きな理由は、海外生活の中で現地の人達、つまり私にとって外国人とやり取りしたり、よい関係を築いたりすることにとても喜びを見出していました。そんなことから、旅行者向けの商品を展開して、旅行者ともいい関係が築ければと思い、だんだん旅行者向けロシア土産が多くなっていきました。
 
 

 
 
–お店の商品の特徴を教えていただけますか?
うちの商品は、ロシア全土にある作業場や工場に行って、自分の目で商品を確かめ、その歴史的価値や、職人さんの心などを感じながら購入しています。
 
 
–オリガさんが全商品の買付を行っているのですか?
私は旅行が好きなので、基本は私がロシア全土駆け巡ります。ただ母も夫も手伝ってくれています。母は出身地のヴォーラグダに喜んでいってくれますし、夫は最低年に1回トルコで買い付けてくれます。
 
 
–トルコからも商品を仕入れているのですか?
うちで扱うタオル類だけはトルコ産です。ロシアは麻製品のクオリテイーは高いのですが、タオルはあまりいい出来ではありません。そのため圧倒的に質の高いトルコ製にしています。タオルそのものはトルコ産ですが、刺繍やプリントはロシアらしいものにしています。マトリョーシカ柄もありますよ。
 
 

 
 
–旅行者がロシア産だと思って買うんではないですか?
いいえ、どこ産というのは絶対に旅行者に伝えます。私はしっかりと理解してもらい、その上で購入してもらいたいと思っています。
 
 
–旅行者はどのようなものを購入するのですか?
まずは定番のマトリョーシカですね。マトリョーシカもきちんとモスクワ郊外の作業場に足を運んで買い付けています。それと日本の旅行者は猫関連のグッズとチェブラーシカを購入されます。韓国人旅行者とはそこが違いますね。そして全般として売れるのがクリミア半島で作られる色鮮やかな器です。クリミア半島のタタール人が17世紀から代々にわたって作っているものです。親から子へ手作業を伝えていく家族事業です。この器は日本人にもファンが多いです。
 
 

 
 

 
 
–旅行者以外からの注文もあるのですか?
日本の北海道の方が何度か買付に来られ、それからその方がメールで注文してくれます。又、アメリカからも注文がありますね。アメリカでは猫ではなく熊のマトリョーシカを要望されます。
 
 
–今後のお店の展開について教えていただけますか?
2店舗目を開いたものの、あまり拡大することには興味がありません。それよりも旅行者をちょっと助けたり、いい関係を築いたり、そういう方向で発展していければと思います。雨が降れば、無料で傘を貸したり、荷物が重ければしばらくうちで預かったり、小さいですがそんなやり取りが続けばいいです。
 
 

 
 
商品選びと直接現地にいって生産者と話し合いながら購入し、1つ1つの商品に愛着をもつオリガさん。単に商品を売るというだけでなく、旅行者との人と人との関係を発展させたいと店頭に立ち続けるオーナーでした。

お店の紹介:http://urajio.com/item/1297

ウラジオ発:ウズベキスタン料理店「リャビ ハウス」(ロシア語名:Ляби Хаус)

キタイスキー市場やその周辺で働く多くのウズベキスタン人に支持される本場のウズベキスタン料理店。タンドゥールという専用の窯で焼くサムサに思わず惹かれる。お肉の串焼きもその場で炭火で焼いてくれる。お店は肉屋ゾーンの近くにある。メニューは写真付きでわかりやすい。

日本語名:リャビ ハウス
ロシア語名:Ляби Хаус
平均予算:500~800ルーブル
メニュー表記:ロシア語、写真付き

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ウラジオ発:フュージョン料理カフェ「ポート メイ カフェ」(英語名:Port May café)

花屋通りを抜けたすぐのところにあるカフェ。西洋料理と東洋料理のミックスで、麺類が売り。ボルシチなど一部ロシア料理もある。アルコール類も扱っている。

日本語名:ポート メイ カフェ
英語名:Port May café
平均予算:700~1200ルーブル
メニュー表記:ロシア語

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ウラジオcom運営会社

ミツモリヨシヒロさんの世界を少しだけ丸くするプロジェクトin ウラジオ