新ウランバートル国際空港と市内を結ぶ準シェアタクシー UBUS!

ウラジオストク往来でお世話になっているモンゴル新ウランバートル国際空港。空港から市内までは約50kmあり、その間を結ぶ公共機関がないのですが、かといって白タクシーに乗るのもなぁという方におすすめの準シェアタクシー、UBUSというサービスについての紹介します。
 
   大抵は左の女性がカウンターで対応してくれる
 
空港の1階到着ロビーに出ると出発到着を示すスクリーンが見え、その右手奥に「TRANSPORTATION SERVICE」というカウンターがあります。ここがUBUSのカウンターです。
 

 
 TRANSPORTATION SERVICEがUBUSのカウンター
 
 
そのカウンターに行くと、ホテル名が書かれたマップがあるので、自分が行きたいホテルを伝えます。市内の15箇所ほどの主要ホテルがあるので、自分の宿泊ホテル或いは最寄りホテルは見つかるはずです。
 
    上記以外にも主要ホテルはカバーしている
 
 
支払いはカウンターで行い、費用は1名で30000トゥグルグ(約1300円 2023.3現在)です。7人乗りのミニバンですが、一応3-4人集まったら出発ということになっています。一応というのは、その時の状況によっては、2名でも出発するケースがあります。今回利用したときは、空港到着が21時で出発は2人集まった21時30分でしたので、実際には20分ほど待ち時間があったというところです。ただ急いでいる場合は、シェアではないVIPというタクシーサービスをお願いするとよいでしょう。普通のタクシーと同じ感覚でピンポイントの目的地までシェアせず運んでくれます。こちらの費用は120000トゥグルグとなっています。
 
       一応チケットを発行してくれる
 
 
     出口を出て左にある黒いバンがUBUS車
 
 
 
出発時間になると運転手がミニバンまで案内してくれ、乗り込んで出発です。車内はまずまず快適で、UBUSの青の制服を着た運転手も親切丁寧に応対してくれます。笑顔で「ありがとう」「さようなら」とか言ってくれる運転手もいたりします。
 
        車内は結構ゆったりです
 
 
こんな感じの青いジャンパーを着てるのがUBUSの運転手
 
 
今回は夜で渋滞がなかったので市内まで60-70分で着きました。ウランバートルは渋滞がひどく、渋滞に巻き込まれると3時間近くかかることもあるので、今回はだいぶ早く着けて安堵です。
  
ウランバートルは昼夜問わず、ひどい渋滞なので御注意を
 
 
なおこのUBUSは市内から空港までもサービス提供しているので、宿泊するホテルで依頼すれば手配してくれるようです。

PS:予約やお問合せは英語でメール対応しているのですが、返答がない時も多いモンゴル式ですのでご了承ください(笑) ubairportshuttle@gmail.com

バス陸路でモンゴル ウランバートルからロシア ウランウデへ!!

ウラジオストクと東京の直行便が休止となってしまい、モンゴル経由で往復をするようになりました。前回はロシア側からモンゴルへ陸路越境を記事にしましたが、今回はモンゴル側からロシアへの越境についてです。今回も出発はモンゴル・ウランバートル、到着はロシア・ウランウデとなります。
 
 
まず前日にウランバートルでバスチケットを買いにドラゴンバスターミナルへ向かいます。ドラゴンバスターミナルは市内中心から8kmのところにある長距離バスターミナルです。国際便はモンゴルーロシア間のみですが、国内は主要都市全てカバーするハブターミナルとなっています。
 
 
時間に余裕があったので、市内中心のスフバートル広場近くから公共バスでТАЧИ(タチ)という停留所に行きます。ちなみにウランバートルの公共バスは一律500トゥグルグで前払いです。降りる場所等で不安がある場合は運転手さんに「ドラゴン?」と尋ねると大体到着したら教えてくれます。
 
 
 
 
ТАЧИというバス停に着いたら、バスが何台も停車している広場の先にドラゴンバスターミナルの建物が見えます。歩いて5~6分です。
 
     2階から上は小さなお店が入っている
 
 
建物は1階がチケット売り場と待合室となっています。ロシア行チケットは8番窓口で扱っています。8番窓口にはバックパッカーの旅行者を始めとした外国人がしばし来るようで、簡単な英語が通じ、「トゥモロー、ウランウデ、ワン」といってパスポートを見せれば、チケットの購入ができます。今回のバスの値段は134000トゥグルグ(約5400円)と前回より値上がりしていました。季節によっても少し値段が異なるようです。クレジットカードで支払いを行うと、「セブンオクロック、モーニング」と集合時間を案内されます。チケットには出発時刻7:30とあるのですが、集合は30分前の7時ということになっているようです。
 

 
 
         8番窓口は英語対応
 
 
     チケットには乗車情報が記載されている
 
 
当日は7時にバスターミナルへ集合します。同じ時間に2-3台のバスが停まっていますが、チケットに記載のバスのプレート番号、目的地である「Улан Уде」という表示を目印に、ロシア行きのバスを見つけます。それっぽい雰囲気がありますので、まず問題なく見つかると思いますし、不安があればバスチケットを運転手さんに見せると教えてくれるので大丈夫です。
 
 前面にはロシア語でУлан Уде(ウラン・ウデ)の文字
 
 
       車両は結構ゆったり目の韓国製
 
 
チケット右上に書かれた番号の座席に座わり、出発です。ウランバートル市内を抜け、ひたすら草原を走ります。気温も0度で、春と言ってもまだまだ寒いのですが、牛、馬は車窓からよく見えますし、時に道路を塞いだりしてモンゴルらしさも味わえる道中です。モンゴルとロシアの国境までは約5時間ですが、それまでに1回休憩があり、トイレに行ったり、タバコ吸ったりと一服できます。以前は道がガタガタでしたが、最近はだいぶ舗装されたので 乗るのもしんどさは感じないでしょう。
 

 
 
       モンゴルらしいのどかな風景
 
 
         ほっこりとトイレ休憩
 
 
国境の前で約45分の昼食休憩となります。ここでもクレジットカードでの決済が可能です。
 

 
 
       現金もクレジットカードもOK
 
 
昼食を終えると、バスでモンゴル側国境に向かいます。国境直前で、モンゴルの検査官がバスに乗ってきて、乗客1人1人のパスポートと本人の顔を確認します。検査官が確認を終えると、モンゴル国境の出入国手続き建物に到着です。
 

 
 
トランク等、全ての荷物を引き下ろして手続きを行います。基本的に飛行機に乗るときと同じで、荷物をX線に通して、パスポートにスタンプを押してもらって出国手続き完了です。
 
  荷物の上げ下げは乗務員が手伝ってくれ助かります
 
 
改めて、バスに荷物を積み込み、ロシア側国境へ向かいます。国境の直前で、今度はロシア入管の検査官がバスに乗り込んで来て、パスポートと本人の顔を確認します。情勢が情勢ということもあるのですが、モンゴル側は全般的に緩い感じで、ロシア側は若干緊張感が伴います。特に外国人は他よりも念入りにチェックされます。検査官も国から外国人の検査を厳格に行うように言われているのでしょう。
 
 
ロシア側の建物に到着すると、モンゴル側同様に、一度、荷物を下ろし、ロシア入国手続きを終え、再度バスに荷物を積み込みます。この荷物の上げ下ろしと出入国手続きがちょっと手間で、気力と労力を使いますが、モンゴル人の運転手と乗務員が助けてくれるので、結構安心です。
 
 
ロシア入国手続きを完了し、ウラン・ウデ市内へ向け約200km,3~4時間走ります。ロシア領土内に入ると、モンゴル領土内とは少し違う雰囲気です。市内に近づくにつれ、木々が増え、ウラン・ウデの特徴でもある湿地もあちらこちらで見ることができ、既にロシア領土内であるのを感じさせてくれます。ウラン・ウデはブリヤート共和国の首都なのですが、市内に入ってくると、ブリヤート人の第一宗教であるラマ教の寺院がちらほら見えてきて、まもなくウラン・ウデバスターミナルです。
 
   ウラン・ウデの観光名所でもあるラマ教寺院
 
 
午後6時30分、バスターミナルへ到着。到着予定時刻は7時30分でしたが、渋滞もなくスムーズで、1時間早くの到着となりました。
 
        結構あっという間の11時間
 
 
コロナとウクライナ紛争の影響で、2023年3月現在で、まだ日本人旅行者にとっては難しいモンゴルーロシアの陸路越境となっておりますが、情勢が落ち着いて、通常化すれば、これも1つの旅行コースにもなりそうです。ウランバートルとウラン・ウデという兄弟都市を比べたり、モンゴル人とブリヤート人の関係を見たり、ウラン・ウデからバイカル湖を目指したり、更にはシベリア鉄道で西のモスクワや、東のウラジオストクを目指したりと、テーマは多様で面白いルートとなるでしょう。

ウラジオストクからウランバートルまで陸路で行く!!

コロナとウクライナ紛争で、ロシアから日本への直行便がない最中、モンゴルがその中継地点と活用されています。多くの外国人にとってビザも不要、PCR検査も不要と使い勝手のよさで多くの外国人が集まるモンゴル。今回は、ウラジオストクからモンゴルへ陸路での行き方を紹介しようとおもいます。
 

 
 
2022年年末からは、ウラジオストクーウランバートル直行便というのも就航しましたが、片道日本円で5―6万円ということもあり、時間は何倍もかかりますが、3分の1の値段で行け、旅情の味わえるシベリア鉄道+国境越えバスにしてみました。
 
 
ロシアとモンゴルの国境を超えるには、ロシア中部ブリヤート共和国の首都ウラン・ウデまで行く必要があります。ウラジオストクからウラン・ウデまでは、シベリア鉄道で約3日間。シベリア鉄道は停車駅の量によって、かかる時間も変わってきますが、今回はウラジオストクを夜出発して、3日後の13時すぎに着く予定の電車です。いろんな等級の座席があるのですが、価格的にも雰囲気的にも好きな3等車の窓際下座席を選びました。というか安いのが嬉しいのですが。
 
 
21時28分にウラジオストク駅を出発。夜も遅いとあり、乗車時点ですでに暗めの社内です。多くのロシア人は、寝る用の楽な姿に着替えます。コンパートメントごとに区切られた2等車と異なり、仕切りのない開放的な3等車車内です。ということで、布団を座席の上に敷いて眠りにつきます。
 

 

 
 
これから3日間はひたすら、車内で過ごしますが、車窓から冬の大地や、夜空に広がる星空を見たりしていると結構すごせます。特に夜の車窓は、宮沢賢治の銀河鉄道の夜を思わせ、幻想的な感じでなかなかよいです。
 

 
 
3日間の食事ですが、基本的に3日分を買い込んで乗車します。車内でピロシキ、カップ麺、ビスケットなどを販売しているのですが、やはり飽きてしまうので、多くの人が食べ物を、簡易食器を持ち込んでいます。なお食堂車のある電車は、ここ数年でほぼ無くなりました。
 
 
途中いくつかの駅で、10分~30分の停車があり、タバコや新鮮な空気を吸いにプラットホームへ降りられます。
 

 

 
 
3日間鉄道に乗り、5時間遅れの19時過ぎにウラン・ウデ駅に到着です。えっ、5時間も遅れるの?って感じですが、シベリア鉄道では、よくあることで場合によっては10時間以上の遅延となります。余裕ある旅程をおすすめします。
 

 

 
 
ウラン・ウデ駅の高架橋を渡るとホステルが5-6軒あり、日本語を話すスタッフのいる「Wellhome hostel」です。日本のカプセルホテルタイプで比較的きれいな宿です。次の日は朝が早いので、チェックイン後、すぐ寝ます。
 

 
 
次の日は朝5時に起床、朝食を食べ、6時にチェックアウト。宿からほど近い場所でバスセンター行きのマイクロバスが5分置きに走っているので、それに乗り込みます。約15分でバスセンターに到着。
 

 
 
7時前にバスセンターに到着すると、すでにモンゴルウランバートル行きの国際バスが待機しており、乗客も乗り込んでいます。チケットはすぐ横のチケットカウンターで購入もできますが、朝はいつも混んでいるので、事前に購入しときます。モンゴル入国は、ビザもPCR検査も不要なので、パスポートを提示するだけで国際バスチケットが購入できます。不安がある場合は、旅行会社を通じてチケットを購入するのがよさそうです。
 

 
 
バスは、韓国製の大型観光バスで、身体の大きいロシア人でも問題ない、ゆったりリクライニングシートです。運転手とバス案内係はモンゴル人男性です。乗客の半分はいわゆるロシア人、半分はモンゴル人と兄弟関係にあたるブリヤート人です。ウラン・ウデはロシア連邦ブリヤート共和国の首都で、かつモンゴルとの国境沿いということもあり、ブリヤート人が多くなっています。
 

 
 
ウラン・ウデ7時30分発、ウランバートル19時着予定のバスは定刻通り、ウラン・ウデを出発。2時間ほど走ると、1つ目のトイレ休憩。ロシアのトイレは有料が基本で、ここも20ルーブルです。
 

 
 
バスは更に1時間ほど走り、国境沿いの街、キャフタに入ります。キャフタは国境ゾーンに該当し、立ち入る毎に国境警備隊によるパスポート、ビザのチェックがあります。ロシアやモンゴル国籍であると特に問題ないのですが、日本人を含めたその他国籍の人は、ここでパスポートを取り上げられ、丹念なチェックをされます。今回は10分ほどバスで待機させられました。(なお国境を超えず、この街に入る場合は事前許可が必要なのでご注意ください。)
 
 
チェックを無事済ませ、更に15分走ると国境に到着。まずはロシア側の税関で出国手続きをおこないます。コロナ以降、陸路でモンゴルへ出国するケースが増えているためか、意外とすんなりと出国できました。ハルビンから出稼ぎできた中国人はビザ切れでしたが、特にお咎めもなく通過していました。
 

 
 
ロシアの出国手続きを済ませると、再度バスに乗り込み、5分走り、モンゴル側税関に到着。モンゴル入国手続きをおこないます。ロシアの税関や国境警備は、無愛想で若干の緊張感がいつもありますが、モンゴル側は少しリラックスしていて、国柄が感じられます。
 

 
 
ロシア側の出国とモンゴル側の入国手続きを合わせて、1時間半程度です。なお荷物はバスからその度に上げ下ろししないといけないので、ちょっと面倒ではあります。
 
 
モンゴル入国を済ませ、少しバスを走らせると、国境沿いの街のレストランに到着。ここで1時間ほどのランチ休憩となります。料理は写真付き英語表記なので、指差しでもいけて困ることはありません。支払いはモンゴルの通貨トゥグルグとなりますが、レストランのすぐ対面に両替所がありますし、両替商のおばちゃんも寄ってきますので、トゥグルグ入手は問題ありません。
 

 

 

 
 
この時点で13時。予定では19時にウランバートルなので、あと6時間ほどバスに揺られることになります。
 
 
モンゴルに入ったので、車窓には草原に放たれた羊や馬の群れを現れはじめます。外気はマイナス20度にもかかわらず、モンゴルの家畜は元気に動いています。いつもながらですが、自然のなかで伸び伸び放牧される家畜は、どこか幸せそうですし、その分、ストレスもなくて肉も美味しそうです。
 

 
 
2-3時間走り、日が暮れてくれた頃に再びトイレ休憩。ここは大きめコンビニのような感じで、パンやちょっとしたお菓子、果物など買えます。トイレは、そこそこキレイで、しかも無料。
 

 

 
 
トイレ休憩をすませ、最終地点のウランバートル、ドラゴンバスターミナルへ向かいます。ここからは3時間程度のはずだったのですが、ウランバートル市内に入った途端、すごい渋滞が始まります。ウランバートル住人に聞くと、道路計画がしっかりなされなかったので、昼の11時頃から21時までは毎日渋滞のようです。ということで1時間半ほど遅れた20時半にバスターミナルに到着。まるまる13時間の長丁場ですが、ロシアとモンゴルの形式、雰囲気の違いが味わえます。モンゴル側の道がガタガタ気味でちょっとお尻が痛いですが、それもまたよしとします。
 

 
 
コロナとウクライナ紛争で選択肢となったロシアからの出国ルートでしたが、飛行機移動とは一風異なった体験ができますので、1つの旅行ルートとして試してみるのもありかもしれません。

韓国ソウル コロナ禍でも営業のチムジルバン!!

コロナとウクライナ紛争下での、ウラジオから日本への帰国の有力ルートの1つとしてDBSフェリーで韓国にわたり、ソウルから飛行機で日本へ行くというのがあります。
 

 
 
ソウルでは最低1泊は過ごすので、サウナ好きの身としては韓国式スーパー銭湯のチムジルバンに行きたくなりましたが、コロナで、24時間営業の有力チムジルバンが閉店に追い込まれ、探すのにちょっと苦労しました。ウラジオ延長線上のネタとして、ソウルで今も営業する男女利用可能な24時間チムジルバンについて紹介したいと思います。
 

 
 
「ソウル、チムジルバン」「ソウル、サウナ」などと検索すると、ソウル駅そばのシロアムサウナ、龍山駅のドラゴンヒルスパ等の記事が出てくるのですが、コロナの影響で閉店したことがわかりました。また営業しているところもありましたが、いわゆる美容スパで、女性専用且つ非24時間営業でした。そこで以下Sauna-ikitai.comで記事を見つけると、江南駅徒歩圏に現在も営業するチムジルバン「カンナム パラダイス」があることがわかりました。
 
https://sauna-ikitai.com/saunas/52685
 
 
江南といえば、BILLBORDを2016年の賑わした「カンナムスタイル」の発祥の地で、サムソンを始めとした高層ビルと、無印良品、PORTERなど日本ブランド店もならぶ、ちょっとハイソなエリア。
 

 
 
こんなところの駅そばにチムジルバンなんてあるのかと、若干疑いつつお店を探すことに。Maps.meのオフライン地図でお店住所を入力すると、大体のお店位置はわかったのですが、江南駅には出口が12個あって、なかなかわかりにくい。サムソンビルがある方向らしいとわかり、8番出口を出てみます。そして1つ目の通りを左へ入っていきます。
 

 

 
 
飲食店、スターバックス、モスバーガーも見えてきました。ちょっと不安になり、その場にいた警備員さんに地図を見せると、直進とのこと。モスバーガーから更に3分ほど直進すると右手に24時間サウナ(24시 사우나)の表示発見。
 

 
 
地下2階だと聞いていたので、ビルに入り、エレベーターで地下2階へ行くと、いかにもそれらしい下駄箱が目の前に広がり、無事到着。下駄箱に靴を入れ、靴箱の鍵をもってカウンターへ向かいます。
 

 

 
 
カウンターはおじさんがいますが、だいぶ親切に迎えてくれます。おじさんは、有料の歯ブラシを、サービスと言って、韓国スマイルでくれました。本当はサービスでもなんでもないのかもしれませんが、なんか嬉しいです。料金は10時~20時までの入店で1万ウォン(約1000円)、20時~10時までは1万5千ウォン(約1500円)となり、12時間過ごすことができます。稀に12時間以上滞在する人がいるようですが、1時間追加2000ウォンで延長できます。スーツケースも預かってくれますし、タオルと館内着もついてくるので、旅行者でもとても利用しやすいです。
 

 
 
入り口は男女が分かれています。男性が若干多い感じですが、20代の女性も個人やグループで結構訪れているのに驚きです。コロナで閉店の続くチムジルバンの中でソウル中心部にある貴重なオアシスとして、韓国人に利用されている感じです。
 
 
中は、脱衣所、風呂&サウナゾーン、釜に入って寢ころぶタイプの汗蒸幕(ハンジュンマク)ゾーン、仮眠室に分かれています。サウナに入る人はあまりいないので、ほぼ貸し切りのような感じで、サウナ好きには嬉しいかもしれません。ここには、大きな水風呂もあり、サウナ後に入ったのですが、日本の水風呂よりだいぶ冷たいです、体感で13度というところか。お風呂は通常の45度ほどの暖かさの湯船と、日本ではありえない、30度前後のぬるま湯となっています。
 
 

 
 
汗蒸幕ゾーンには60度と20度の2種類のチムジルバンがあり、寒い冬のソウルではこの60度のチムジルバンは心地よく、身体がよく温まります。木の枕がおかれ、60度の高温にもかかわらず、爆睡している人も少なくありません。
 

 

 
 
仮眠室は30人分あり、男女共用なのですが、女性専用ゾーンもあり安全に配慮されているのがうかがわれます。
 
 
館内には、マッサージルーム、床屋の他、食堂もあるので、日本のスーパー銭湯のように過ごすことができます。日本の一般的なスーパー銭湯より、このチムジルバンはやや老朽化してるとはいえ、コロナ禍でも大都会ソウルの中心でリーズナブルな価格で営業してくれるので、満足な水準かとおもいました。というか、だいぶありがたい存在です。
 
 
コロナとウクライナ紛争が落ち着いて、以前のようにウラジオ渡航が自由になると、韓国を経由とする旅行も増えてくると思いますので、そんな時は訪れるてもいいかもしれません。サウナも入れ、仮眠もとれ、カウンターのおじさんといい、韓国という感じが味わえます。

PS:以下は韓国語ブログですが、館内の雰囲気がよりわかります。
https://m.blog.naver.com/lovelyeng111/221249599747

微妙なナマコ博物館!!

ウラジオストクの海にはあちこちらにナマコが見られました。

数はだいぶ少なくなったものの今でも生息し、ウラジオストクの1つの名産品として珍重されています。

このウラジオストクの名産品であるナマコを主に取り扱った博物館が市内にあります。

場所はウラジオストク駅とトカレーフスキー灯台の中間あたりで、海沿いの住宅街に位置します。
 
 

 

 
 
駐車場にもナマコが描かれています。
 

 
 
入場は200ルーブルで、入口で係員に支払って中へ進むと、

ロシアをはじめとした中韓日の国旗と剥製の熊が出迎えてくれます。
 

 

 
 
少し進むと左手にはソ連文化ゾーンがあり、ここはレーニンやブルジネフなどの肖像が掲げられた小部屋と

スラブ伝統人形などが暖炉に並べられた部屋からなっています。

この人形は博物館のご主人ドミトリーさんのお母さんが作ったもの。
 

 

 

 
そして正面にはメインのナマコの部屋が登場です。

ここでは干したナマコが展示され、ナマコの生態の他、ウラジオストクの成立ちなどについても知ることができます。

ただし全部ロシア語なので、翻訳アプリやガイドなどが必要になりますね。

712年編纂の古事記にも出てくる日本文化にも馴染み深いナマコなのですが、

あまり知らないその生態について知るのは結構面白いです。

「10~15年のナマコの一生涯で海底のゴミを砂と一緒に約1000トンも飲みこみ、清掃してくれる」

「敵に襲われると身体の3分の1を切り捨て敵に与え、数か月で元通りの体に再生させる」

「人体に有益なコラーゲン、アミノ酸など30種類以上の栄養分を含み海の朝鮮人参として昔から珍重されている」

「世界にいる1200種類以上のナマコのうち食用はわずか40種類程度」等々、ナマコのミニ知識が得られます。
 

 
 

 
 

 
 

 
 
ナマコゾーンを出ると、正面にはプーチン大統領のカーペットが、、、(w)。

ドミトリーさんも好きなこのカーペットは販売もしていて良く売れるようです。
 

 
 
さらに進むと映写室、団体ツアーではここで更にナマコに関する映像が見られるとか。

ただここでも日本語は残念ながらありません。
 

 
 
そしてこれ以降の部屋はナマコには関係なく、極東ロシアの観光資源や産品の紹介になります。

マイナス50度になるヤクーツクにおける150万年前のマンモスを中心に、

沿海州で免疫アップ、癌にも効果があるといわれる白樺寄生のキノコ「チャガ」などが展示されています。
 


 
 
次の部屋ではウラジオに初めてロシア船が到着した当時の漁村風景が描かれ、

横にはアルタイの熊、そして熊の胆嚢からとれる油について紹介されています。
 


 
 
そしてついに最後の部屋、ここは主に販売の部屋。身体によいといわれる熊の油セットをはじめとして、

世界2位の琥珀の産地カリーニングラード産の琥珀入り枕、

沿海州産の鹿の角、そしてレアな鹿の血の粉末など増強剤も扱っています。
 


 
 
日によるとお茶の試食サービスがあり、名物のチャガ茶をふるまってくれます。

お好みによってトラの爪、朝鮮人参などのシロップで甘みを加えられます。この珍シロップも購入可。
 


 
 
これで博物館が終わりと思いきや、

なんと横のスーパーもドミートリーさんの運営でセブンイレブンならぬセブントゥエルブ(W)。

ここでは通常の食品、お土産の他に、レアな熊の肉缶詰、イノシシ缶詰なども買えちゃいます。
 


 
 
博物館館内やスーパーで扱われる商品はどこかキワモノ、微妙さが漂っています。

ドミトリーさんの作る世界観は、珍品好きや、ちょっと不真面目な旅行者にはよいかもしれません。

立地から、コンテンツから、お土産まで本当に微妙ですからね~

ナマコ博物館:http://urajio.com/item/0595

アヌチノ村のハチミツ祭り!!

ロシア国内でも1-2を争うハチミツ生産地である沿海州。

約120年前にウクライナから大量に持ち込んだ養蜂箱から、辛うじて生き残った6箱のミツバチ達が沿海州ハチミツの

起源となります。

 
 

この沿海州ハチミツ(科学名「極東蜂」)の中で、最大の生産地として名を誇るのが今回の「アヌチノ村(Анучно)」です。

 
 

この村では夏の収穫期が終わった毎年8月後半にハチミツ祭りが開催されています。

ウラジオから北東に200km(車で3-4時間)の地で行われるハチミツ祭りは

第5回の2021年は8月28日の土曜日14時からのスタート。

 
 

会場である中央広場に着くと、ミツバチコスチュームに身を包んだ女性や子供が迎えてくれます。

 
 

ハチの巣パネルの前で一緒に写真撮影したり、専用フォトスタンドに

顔を入れて記念の1枚を撮れたりもします。

 
 

ミツバチの恰好をしたおばちゃんによる子供向けワークショップがあったり、

普段はなかなか見る事のできない養蜂箱も覗けて子供たちにとっても貴重な機会です。

 
 

村のおじさんによるロシア伝統楽器バヤンの演奏もあったりして賑やかです。

 
 

No1ハチミツを決めるハチミツテイスティング&投票のコーナーもあり、

凌ぎをけずる養蜂家のハチミツを比較しながら味わえるのもお祭りならではです。

 
 

お祭りには欠かせない露店も、やはり今日はハチミツ。

 
 

約10店舗が出店しているのですが、実は何百といる養蜂家の中で

審査、選抜された養蜂家のみが出店できるということで上質なハチミツが

手に入れることが出来ます。しかもリーズナブル。もちろん味見もさせてくれます。

 
 

生産の8割を占め、一番人気の菩提樹ハチミツをはじめ、蕎麦の花ハチミツ、タンポポハチミツなど

が並びます。その他、ハチの巣から精製してつくる蝋燭であるミツロウや、養蜂グッズも販売さ

れたりしています。

 
 

ちょっと小腹が空いた時に嬉しい蕎麦の実と紅茶の炊き出し。美容と健康にもよいと日本でもミニブームの蕎麦の実が

アツアツで味わえちゃいます。


 
 

そして最後はハチミツの村ならではのレアなハチミツ記念碑の前で写真撮影。

 
 

村には宿もないので、車で往復7時間、滞在時間1~2時間という効率はよいとはいえない旅程と

なりますが、道中の大自然も癒されますし、ロシア国内でも比類のないお祭りなので

この時期にウラジオに来た際は、1考に値するアヌチノ村のハチミツ祭りです。

                   ハチミツ祭りでお待ちしておりま~す

 
 
 

~ 番外:アヌチノ村の老舗人気カフェ「スカーレット」~

アヌチノ村生まれで風と共に去りぬが大好きのナタリヤさんが1991年に開業した

「スカーレット」は村民のみならず、遠方からも人の絶えない人気カフェ。

 
 

ロシア料理を中心に、料理全般が味わえるが、この店を支える看板メニューが「シル二キ」というパンケーキ。

 
 

アヌチノ村周辺は上質な牛乳の産地でもあり、その新鮮牛乳から出来るコッテージチーズを

使ったのが同店のシルニキ。ヨーグルトをそのままパンケーキにしたような爽やかな風味。

 
 

ほどよい甘さのシルニキには、自家製のスメタナ(サワークリーム)を付けることもできるし、

アヌチノ村ならではのハチミツを付けても楽しむこともできる。

お店の紹介:http://urajio.com/item/0429

作曲家 久行敏彦さんの「ウラジオ珍道中」(最後にラジオ音源あり)

ウラジオストク珍道中

~我が愛すべきアンビリーバボーかつサプライズかつスペシャルサンクスな出来事~

☆彡vol.1

国際線の機内食。キャビンアテンダントが「chicken or fish?」と訊く。

皆さんはこれを読んでどのような状況を思い描くだろうか。

とんどの人は、すでに食前酒と軽いスナックが配られ、場合によっては前菜も食べ終わり、中にはワインの小瓶2、3本空けてしまっている呑み助もいることだろう。あとはメイン料理を肉料理にするか魚料理にするか、を問われている状況を思い浮かべるに違いない。

ところがアエロフロート成田→ウラジオストク線では全く違う展開が待っていた。小生は「chicken or fish?」に対し、「chicken please」と返答したのだが、数秒後、三角形のサンドウィッチがポンと渡された。成田⇔ウラジオ線で「chicken or fish?」とは「鶏のサンドウィッチとサーモンのサンドウィッチどちらを召し上がりますか?」なのだ。曲がりなりにもヨーロッパ航路。これまで経験したヨーロッパ航路はいずれもフルコース配膳であったので今回のサンドウィッチはかなりびっくり。よくよく考えればフライト時間は約2時間、ウラジオは沖縄より近い身近な都市なのだ。飛行時間3時間の成田→那覇線では何も食べ物が出ないことを思うと、これは素敵なサービス。フルコースの配膳など時間的に無理。ウラジオに着く前にかなりなサプライズ。

    成田ーウラジオ線での伝説のサンドイッチ

☆彡vol.2

オーケストラの団員は飛行機移動の際、楽器は必ず機内に持ちこむ。コントラバスやハープなど、大きすぎて飛行機の扉を通れないものならば貨物室に預けざるを得ないが、持ち込めるサイズのものは必ず持ち込む。チェロ奏者などは自身が座る席の隣にもう一席を確保し、そこに愛器を「座らせる」。その席のために通常料金の半額支払う。音楽家にとって楽器は「体の一部」なのだ。

今回のツアーでも自分の楽器持参の奏者が二人いた。ヴァイオリンとホルン。これらは座席上の物入れに余裕で入るサイズなのでわりと楽だ。だがいったん飛行機を出ると一筋縄でいかないこともある。入国手続きも無事済ませ、あとは税関をパスすればロシア入国となるのだが、ヴァイオリニスト所持の楽器がチェックの対象となってしまった。どうやら持ち込むときに、とても高価なものであることをきちんと申告しておかないと、出国の時に「なんでこんな高価なものをロシアから持ち出すのだ」となって、没収されてしまうこともあるとか。ストラディヴァリウス等の名器は3億の値が付くこともあるのはご存じの方も多いと思う。今回の楽器はそこまで高価なものではないだろうが、そんなわけで、楽器本体や鑑定書の写真を撮ったりして30分は足止めを食らったか。しかし一方で税関職員はホルンには全く目もくれなかった。びっくりするほどスルーだった。

旅行ガイド本によると、ロシアでは出国する際、カニ缶やキャビアは持ち出す量が250gまでしか許されていないそうだ。小生も帰国の際、空港で100gのキャビア缶2個買ったが10,000ルーブル、日本円で約20,000円。ということは25,000円分以上のキャビアは申告しないと持ち出せないことになる。ホルンは中学生が吹奏楽の部活で使うものでも最低20数万、プロが使う楽器ならば100万円では買えないだろう。税関職員にスルーされ続けたホルン奏者が、否、その楽器が少し可哀そうな気がした。ちょっとしんみりするアンビリーバボー。

 

☆彡vol.3

ウラジオストクに着いた翌日、我々は中心街にあるフィルハーモニーのホールにいた。ホールの中に足を踏み入れた途端、19~20歳の頃の郷愁を呼び覚ますオーラに圧倒されてしまった。

皆さんは「日比谷公会堂」をご存じだろうか。おそらく平成生まれの方は現役のコンサートホールとして活用されていた日比谷公会堂をご存じないだろう。昭和初期から平成の初めまで、わが国の最高の権威ある「日本音楽コンクール」の本選会場として我々の憧れの音楽会場であった。学生時代の我々は毎年のようにそのコンクールの本選会に詰めかけ、本選会で聴衆に挨拶している出場者と将来の自分を重ね合わせて眺めていたものだ。

日比谷公会堂がらみの日ロ・日ソ交流の歴史を一つだけ紹介すると、バス歌手のシャリアピンが1936年に来日し、日比谷公会堂でコンサートを行い、宿泊した帝国ホテルのシェフに作らせたステーキが今でも「シャリアピンステーキ」としてメニューに残っている。小学生時代、音楽の時間にシャリアピンが歌うムソルグスキーの「蚤の歌」のレコード(CDではない!)をかけてくれ、とみんなで先生に何度もせがんだことを昨日のように思い出す。シャリアピンのユーモアあふれる歌唱がクラス全員のお気に入りだった。

その日比谷公会堂と同じ香りがウラジオのフィルハーモニーホールにはあるのだ。ウラジオが1907年、日比谷が1929年、どちらも戦前の竣工だ。リハーサルの時、2階のボックス席に座って我々の仲間のソプラノ歌手を見たのだが、目と目が合って思わず笑顔で手を振ってしまった。リハ中にも関わらず、彼女も笑顔で手を振り返してくれた。これは現在の日本のどのホールでも、ウラジオにあるマリンスキー劇場の舞台に一番近いボックス席からも体験できない稀有なことだ。日比谷にはボックス席はないので舞台上の演者との距離はウラジオのほうが勝っているかもしれない。もし同じ演目を同じ指揮者、オケで聴くとしたらフィルハーモニーとマリンスキー劇場のどちらで聴きたい?と問われれば間違いなくフィルハーモニーと答える。素敵なホールだ。嬉しいサプライズ。残念ながら日比谷はコンサートホールとしては現役引退してしまったがウラジオのホールはずっと現役でいてほしい。

 

演者と聴衆の距離感が感動モノ。

 

 

☆彡vol.4

クラシックのコンサートでは一人で行ういわゆるリサイタルであってもオーケストラのコンサートであっても、基本的に曲間のアナウンスはない。「トークと演奏」といった形で演奏家が何かしゃべりながら演奏もする、という形はあるが、わりと少数派だ。オーケストラのプログラムでは前半に序曲または組曲等の小品をやり、次いで協奏曲、休憩をはさんで後半は交響曲、というのが一般的な流れである。聴衆は1曲目の小品で指揮者やオケの力量を把握し、曲が終わると完全に会場の空気はその指揮者とオケが支配し、次の協奏曲のソリストを迎え入れる体制が整う。協奏曲で聴衆はソリストの名人芸を堪能し、休憩。ここまでで会場内に流れるアナウンスは開演前の「演奏の妨げとなるので時計のアラームや携帯電話はオフにしてください」と「演奏中の出入り・撮影・録音は固くお断りします」だけ。いわゆるMCが曲や演奏者の紹介をするようなことはない。聴き手の耳を演奏にだけ集中させるためだ。曲間にMCが入ると1曲目で演奏に集中した耳を休めることができない。また、先ほど書いた「1曲目で作り上げた空気」を壊してしまうことになりがちだ。

ウラジオでのオーケストラのコンサートでは司会の女性が出てきて、まず1曲目の曲紹介、演奏者紹介から始まった。あ、これがウラジオの流儀か、と受け止めた。1曲目の演奏が10分ほどで終了した。会場の空気も1曲目の余韻が漂い、2曲目の開始を待つばかりとなるはずなのが、先ほどの司会女史が登場。何やら喋り始めた。小生はロシア語が全く分からないのでお坊さんの読経を聞くような気持ちで話が終わるのを待った。ところが1分過ぎ、2分過ぎても話は終わらない。何かメモを見ながら話すわけでもなく、尽きぬ泉のごとく、といった風情でとうとうと喋っている。かなり頭が良い方なのだろう。5分を過ぎても終わらない。これにはびっくり。この頃には「早く話が終わらんかなー」という気持ちは雲散霧消し、彼女の喋りそのものが演目の一つのように思えてきた。あとからロシア語が分かる人に聞いたら次の演目の作曲者、プロコフィエフについて詳細なお話があったそうだ。会場のお客さんもきちんと聞いていたし、司会のお話も興味深いものであったのだろう。休憩の後のプログラムは司会女史とともに進行する流れに全く違和感が無くなっている自分に気づいてちょっと可笑しかった。 

ちなみに開演前の「演奏中の出入り・撮影・録音お断り」「携帯電話の電源をお切りください」とのアナウンスは無かったようで、ステージ上の熱演に負けないくらい、客席も賑やかなものとなっていた。

                    5-6分ひたすら話し続ける女史。

 

 

☆彡vol.5

 今回のツアー、小生は日本側からの作曲家の一人として参加した。演目はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノの4人で奏でる室内楽。モーツァルト、シューマン、ブラームスなど、古今の大作曲家が名作を残しているジャンルである。2014年に日本で初演したもので、今回のウラジオが2回目の演奏となる。弾いてくださるのはヴァイオリンだけ日本人の安田紀生子さん、他の3人はロシア人という編成。練習の時、言葉はどうするのか、と心配していたのだが、今回のツアーでアテンドをしてくださった宮本さんが通訳して下さるとのことで安心していた。初練習は極東藝術大学の練習室で。お互い和やかに挨拶を交わし練習が始まったのだが、ロシア人奏者の皆さんの練習の進め方、演奏の在り方について、言葉の問題以前の、日本人と大きな隔たりがあることを思い知らされる。譬えるならば、料理するとき、調味料の分量について、我々日本人は「塩少々、コショー少々」という表記で暗黙の理解をするが、彼らは「少々とは何グラム?」というこだわりを見せる。数値で示さないと安心できないのだ。これはどちらが優秀、ということではなく、流れている血の違いだ、と思い知らされた。日本では練習時間のほとんど、音が鳴っているが、彼らは与えられた時間の半分くらいは議論に費やす。日本人の立場でコメントするならば決して効率の良い練習の進め方ではない。しかし彼らにしてみれば、今まで出会ったことのない曲想で、どう対処してよいのか、困惑していたのだろう。もしかしたら議論している中で曲の批評や作曲家の姿勢(悪口?)についてもコメントがあったのかもしれない。しかし、宮本さんは必要最低限の通訳しかしない。これは憶測だが、ありのまま通訳したらとんでもないことになる、と危惧したうえでの気遣いなのだろう、と思う瞬間が一度や二度ではなかった。

このような状態で本番を迎えるまで、当初予定されていなかった臨時練習を何度か行い、アルチョーム市のホールでの本番を迎えた。本番前の楽屋で、彼らの一人が言うには「この曲は感覚が大事で、本当ならば2か月くらい何度も何度も練習して体で覚えないとよい演奏ができない曲だと思う」とのこと。小生の曲に対して本気で対峙してくれていたのだ、作曲者の意図を理解してくれたのだと思い、今までに味わったことのない感動を覚えた。本当に嬉しかった。スペシャルサンクスな出来事。

                    ロシア人達と本番に向け練習中。

 

 

     いつも険しい顔のロシア人ピアニストと共に。これも良き思い出。

 

 

☆彡vol.6

ウラジオの空港は実はウラジオ市内から60キロほど離れたアルチョーム市にある。東京と成田が70キロの距離だから似たような感じ、わりと田舎町だ。その中にアルチョーム市立の音楽学校があり、そこのホールでコンサートを行うことになっていた。我々がそこに到着し、ホールに一歩足を踏み入れた途端、舞台上に鎮座ましましている白い可愛いピアノに釘付けになってしまった。なんと素敵な歓待!

                    出た!まさかの白いピアノ!

皆さん舞台に上がって写メを撮っている中で、我々の仲間のピアニスト二人だけが深刻な表情をしている。「え・・・? 僕ら・・・ このピアノ・・・ 弾くの?」

鍵盤を叩くとちゃんと音がする。我々を歓待するためのオブジェではないらしい。本番用のピアノのようだ。人間、本当にびっくりすると全く言葉も発することなく、放心状態になるのだ、と二人のピアニスト氏から教わった。

おそらくこのピアノ、この学校に通う子供たちにとって特別な日にしか触ることのできない、とっておきの楽器なのだろう。まだ本番が始まってもいないのにそのピアノに照明が当てられ、妖艶なオーラを放っていた。この学校がこのピアノをとても愛でていることは容易に理解できた。

とはいえ、そのピアノを一流のプロが本番で喜んで弾くか、と言ったらそれは別の話。二人のピアニスト氏、どうするのだろうと様子をうかがっていたが、なんとその純白の楽器でリハーサルを始めたではないか。ほんの数分でこのピアノで本番をやる覚悟を決めたようだ。しかも、ちゃんとプロの洗練された音がしている。弘法筆を選ばず、とはこのことか。お二人のプロ意識の高さに恐れ入った。もちろん本番もバッチリの演奏だった。文句なしのサプライズ。

 

                     いざ本番!ピアノはやはり白い。

 

 

      安堵安堵でにこやかに皆で写真撮影。でもピアノのロシア人に笑顔なし(^^♪

 

☆彡vol.7

 帰国の前日、我々は極東藝術大学のホールで本番を迎えた。大きなトラブルやサプライズ、無く、つつがなく本番が終わった。休憩時間にこんなことがあった。前半の最後は小生の曲だったのだが、休憩時間にその曲が聴こえて来たではないか。お客さんの一人がスマホで録音したものだろう。本番中の録音・録画行為は昨日も一昨日もたくさん目撃したが、まさか自分の曲を録音されるだけでなく、それを目の前で再生されるとは。ご本人は作曲者がそばにいるなどとは思わないだろう。アンビリーバボー。でも、小生の曲を演奏後すぐに聴き返したいと思ってくれたのだ、と思うとそのお客さんがとても愛おしく思えてきた。日本では絶対できないレアものの貴重な体験!

 

 

☆彡vol.8

最後に我が娘のお話。極東藝大でのコンサートの後、我々は日本総領事公邸に招待された。我々のメンバー、領事館のメンバー、極東藝大の先生方、総勢20数名での素敵なひととき。最初に総領事のご挨拶があった。皆さん輪になった状態で総領事のお話が始まる。総領事の右に我々家族が並んだのだが、挨拶が始まった直後、下の娘が鼻血を出してしまった。なんでこのタイミングで、と妻は笑いをこらえながら止血の対処をする。総領事はご挨拶のために一歩前に進んでいらしたので、流血騒ぎは死角になって気付いておられない。一方で前述のように皆さん輪になっているから、総領事以外のその場にいらしたほぼ全員が鼻血騒ぎを見ながら総領事のご挨拶を拝聴する、という事態になってしまったが、この状態で鼻血には目もくれず、総領事のお話にだけに集中する、なんてことができる人はいないだろう。総領事には本当に申し訳ないことをした。懺悔のアンビリーバボー。

                     領事館公邸でのミニコンサート

 

                    娘の鼻血も止まり、日露仲良く記念撮影。

そんなこんなであっという間の一週間、いろいろなことがあった。わたくしは1967年生まれ、20代半ばまではロシアではなくソ連で、シベリア抑留とかKGB、スパイ、ホテルの部屋には盗聴器が仕掛けられて・・・など、ネガティブな印象の多い国であったが、今回の訪ロで完全にその先入観は払拭された。宮本さんはじめとする現地の日本人の方、極東藝大の方々、そしてコンサートに足を運んでくださったロシア人の音楽愛好家の方々、そしてウラジオのお店や料理のおかげであると思う。作品発表という口実が無くても、近いうちにまたウラジオストクにお邪魔することになるだろう。

 

ネットラジオ『OTTAVA』で更に深堀りされました(2:32〜9:12 がウラジオ部分)https://drive.google.com/file/d/1oz2sUboILjS9w5uCFEwxT_j9etPZkCzE/view  

 

戦後の日本人抑留者の手による建物特集!

ウラジオストクには、1945年8月15日の終戦後も、日本に戻ることができず極東ロシアに残らざるを得なかった日本人が沢山いました(極東ロシア全体で約57万人、5万5千人が亡くなったと言われます)。その日本人達はロシアの前政府であるソビエト連邦により労働を強制されました。強制労働という中でも、多くの日本人は真面目に、秩序正しく働いたと言われます。その当時の日本人と交流したロシア人の間でもそんな立派な日本人の話が語り継がれています。そんな日本人抑留者の手による建物が今も街中で見ることができます。(監修:極東連邦大学 モルグン・ゾヤ先生)

1)「ディナモスタジアム」http://urajio.com/item/1017

ルチという地元プロサッカーチームのホームグラウンドとして使われている。
 
 

2)「石垣とロトンダ」http://urajio.com/item/1019

エクアドルホテル近くで、スポーツ湾を見下ろす。今も写真スポットとして夕方はよく人が訪れる。
 
 

3)「アヴァンギャルドスタジアム」http://urajio.com/item/1022

老朽化は進んだが、ソ連時代は様々なスポーツ大会が行われた。
 
 

4)「集合住宅посьетская 23」http://urajio.com/item/1023

ウラジオストク駅のすぐ側、レーニン像の後ろの立派な集合住宅。
 
 

5)「集合住宅светланская 117」http://urajio.com/item/1024

隣には政府関係の役所が達、ロシアの国旗が立っている。立派な建造物。
 
 

6)「民家пушкинская 20」http://urajio.com/item/1025

プーシキン劇場から徒歩2-3分。立派な建物の第9学校の通り向いにある。隣の22も日本人による。
 
 

7)「民家пушкинская 22」http://urajio.com/item/1026

プーシキン劇場から徒歩2-3分。立派な建物の第9学校の通り向いにある。隣の20も日本人による。

 
 

8)「旧浦潮派遣軍司令部」http://urajio.com/item/1018

1940年代後半に建物を改修工事した際に、屋根の部分を中心に日本人抑留者が手掛けた。
 
 

9)「マラジョーシ劇場」http://urajio.com/item/0528

演劇劇場として今も街の人に愛されているこの劇場も日本人抑留者の手によるものと言われている(ただいま確定調査中)。
 
 

10)「集合住宅 Семёновская 30」http://urajio.com/item/1027

中央広場にほど近い、旧日本国総領事館の通り向かいにある集合住宅も基本部分は日本人抑留者により作られた。
 
 

ウラジオ簡易ビザの申請から入国まで!!(電子ビザで2都市訪問不可注意 ex)ウラジオーハバロフスク等)

注1:申請フォームで1文字、1数字が違うだけで入国できないケース有り,再再確認を!

注2:滞在は入国日を1日目としてから8日目の23時59分迄です! 8日間とあるが、実際は7日間!

注3:2018年8月31日よりハバロフスク、ユジノサハリンスクでも電子ビザ制度がスタートいたしました。但し各都市を跨ぐことはできません。ハバロフスクとウラジオストクを訪問するような場合は旧来通りの観光ビザ取得必須!

注4:しばし日本語翻訳ミス、日本語表示でのエラーがあり、その場合は英語表示での申請をオススメいたします。➡英語版 https://evisa.kdmid.ru/en-US

日本総領事館からの注意必読↓『ロシア電子査証有効期間の件』(2018年8月7日) http://www.vladivostok.ru.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000240.html

日本総領事館からの注意必読↓『「電子ビザ」を用いた沿海地方でのロシア入出国についての注意点』(2018年10月25日) https://www.vladivostok.ru.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000260.html

ロシア連邦外務省領事部の電子ビザに関する注意事項 https://evisa.kdmid.ru/ja-JP/Home/Instruction

今まではロシア大使館に行ったり、ビザ会社にお願いしなければいけなかったビザがネットで申請して、送られてくるPDF電子ビザをプリントアウトするだけでOKになりました。今までは最低1-2週間の手間がかかりましたが、簡易ビザ制度で楽々です。 基本的に沿海州が日本人大歓迎、たくさんお越しくださいということで実施している制度なので、よほどのことがない限りビザは即日~3日以内に発行されます。ウラジオストク空港の入管職員もこの件に関してはだいぶ寛容で、ウエルカムな感じです。

◆ウラジオストク簡易ビザ制度の基本的な内容(重要なので再度ご確認ください!)

1)ウラジオストク空港、港、陸路(電車のみ)の3点から出入りした場合が現在は有効です。  

2)ウラジオストクを含む沿海州の滞在のみOK。モスクワ、ハバロフスクなど他都市へいくことはできません。(2018年8月31日よりハバロフスク、サハリンも電子ビザ制度がまだ始まりました。但し各都市間は制度上切り離されていますので2都市を訪問する際は今まで通り観光ビザ取得が必要です。)

3)入国予定日の20日~4日前迄に申請する必要があります。例えば9月21日に入国したい場合、最低でも9月1日~9月16日の間に申請しないといけません。 ※余裕もって出発1週間前までにはビザ申請しましょう! 

4)送られてきた電子ビザはプリントアウトして常時携行する必要があります。空港でチェックしたり、滞在ホテルでコピーとったりします。

5)滞在は入国した日から数えて8日目までです。例えば9月21日19時16分に入国した場合、滞在した日を1日と数え、9月28日の23時59分までに出国しなければなりません。

◆電子ビザ申請から取得、入国出国までの流れ

1)https://evisa.kdmid.ru/ja-JP/Home/Index から入力、申請する。


※日本語表記でエラーが続く際は、英語表記で入力するとエラー回避できることがあります。➡英語版:https://evisa.kdmid.ru/en-US

2)メールでPDF形式の電子ビザを受け取り、プリントアウトする。

3)プリントアウトした電子ビザを空港カウンターやウラジオストク空港(港)の入国ゲートでパスポートと一緒に提示。ホテルでも確認する。

4)滞在中はパスポートと一緒に携行し、出国時も出国ゲートで提示する。

◆申請書の入力方法と流れ

1)氏名生年月日、出生地等の入力

2)入国目的、入国予定日の入力

3)メールアドレス、住所、所属先住所等の入力

4)パスポート情報の入力

5)ロシア人の親戚有無の入力

6)顔写真のアップロード

7)全入力情報の確認および申請(送信) ではここから申請サイトに入りhttps://evisa.kdmid.ru/ja-JP/Home/Index入力していきましょう!ウラジオストクの場合は『Primorsky Krai』です。












            👇1日~2日すると以下のメールが送られてきてダウンロードします
 
 


 
                  これが電子ビザ、カラープリント必須!                          
 
 
                
電子ビザにかかわる管轄はロシア外務省、ロシア大使館、ウラジオストク入国管理局にありますので、その管轄の説明書きや回答に最終的には依拠することになります。 https://evisa.kdmid.ru/ja-JP/Home/Instruction 当サイトでの情報は、日本人で電子ビザ制度を利用した数十名からのヒアリングおよび入国管理局職員からの談話など現場での状況をもとに構成しています。ここまで数十名の方からのヒアリング情報、現場での確認状況からすると、特にここ1カ月で問題は出ておりませんので、おそらく当サイトの記載で問題はないとおもいますが一応当サイトの立ち位置をご理解くださいませ~ ぜひぜひ簡易ビザを利用してウラジオストクへお越しくださいませ~ いや~本当に隔世の感ありますよ

 ※パスポート残存期間が6か月を切るとビザ申請できないのでご注意(2019年8月追記)

自転車ロシア横断 | ネルパ香奈さんの旅行記!

2018年にウラジオから世界一深い湖バイカル湖のあるイルクーツクまで

なんと自転車で横断した夫妻の旅行記がUPされました。

ロシアの雄大さロシア人の底抜け親切さ

が見るだけで味わえます。自転車好きでなくても思わずロシアを更に知りたくなるはず、必見!

 

             一見すると粗野な感じですが、本当に親切、明るいロシア人。                

                        雄大なロシアを他国のチャリラーと走ったりも。                         旅途中での美味しいロシア庶民料理を舌鼓。                             

 

旅の装備一覧も詳細に記載されていて大変参考になります!


 
 
引き続きイルクーツクからモスクワまでの5000km編もあるようなので楽しみです、写真撮影もお疲れ様です!  
 
 
以下をクリックでHPに飛びます  自転車ロシア横断 | ネルパ香奈の旅行記:https://sigetuna.blogspot.com

 

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