ウラジオストク駅近くの果物屋で店員として働くキルギスタン人のアシロヴァ ・アイダさん(Ашырова Аида)。いつもにこやかな対応で常連客も多い。朝から夜遅くまで店頭に立つアイダさんにウラジオストクへ来た経緯や当地での生活等について伺ってみました。
–アイダさんはいつキルギススタンからウラジオストクへ来られたのですか?
ちょうど14年前にウラジオストクへ来ました。
–なぜウラジオストクに来られたのですか?
もともとキルギススタンはソ連邦の1国でソ連同様に生活も安定していました。ちょうどコルホーズとかがあった時代です。その後、ソ連が崩壊して、キルギススタン国内も不安定になり仕事もなくなるような状況に陥りました。そのような時代だったので、夫は仕事を求めて極東ロシアに向かいました。ウラジオストク、サハリンなどこのエリアを中心に夫は仕事をし、その夫に呼ばれるような形で私もウラジオストクへ来ることになりました。
–ウラジオストクに来られてはどんなお仕事をされましたか?
14年前に来て、しばらくは朝鮮風漬物店の売り子をしていました。そして7年前に今の果物店に勤めることになり今に至っています。大体朝9時から夜9時までが勤務です。
–ウラジオストクにキルギススタン人は多いのですか?
私が来た当初は本当に少なくてあまりみかけなかったのですが、次第に増え、今は結構見かけるようになったと思います。
–ご家族は皆さんウラジオストクにお住まいですか?
私には夫と2人の娘と1人の息子が子供がいます。2人の娘はウラジオストクで私と一緒に生活していて、息子は母国キルギススタンで大学に通っています。夫は今、長期出張でモスクワで生活しています。兄弟は母国で果物の商売をしており、ロシア向けに輸出しています。妹も故郷で縫製関係に従事しています。
アイダさんの2人の娘さん
–キルギススタンには頻繁に戻られるのですか?
来た当初の頃は、半年にウラジオストク、半年キルギススタンという生活で結構頻繁に戻っていました。今は2,3年に1回戻る程度です。向こうへ行くと、親戚なんかにもキルギスタンに住んだらどう?といわれるのですが、もうウラジオストクの生活に慣れてしまい、逆に母国ではちょっと手持無沙汰になってしまう感じですかね。ウラジオストクの生活は悪くないですよ。
–ウラジオストクで好きな場所を教えていただけますか?
友達なんかとたまにルスキー島にいきます。ルスキー島はきれいな公園がって噴水があったりもします。小さい滝もあって、ただ散歩して写真撮ったりするだけで結構楽しいですよ。
アイダさんの好きな小さな滝の前で
しばしお店には2人の娘さんが立ち寄ってくれ楽しそうに店番を勤めるアイダさん。いつも同じ、しかもニコやかな店員さんが居てくれるとお客さんも安心なはず、これからも長く店頭に立ち続けてほしいものです。
お店の紹介:http://urajio.com/item/1394
ウラジオ発:駅そば果物店のキルギスタン人店員 アシロヴァ ・アイダさん

ウラジオ発:アゼルバイジャン人の果物店店主 ヤーシャさん

ウラジオストク駅から一番近い場所にある果物店は場所柄、旅行者にもなじみのあるお店。このお店を営むのはアゼルバイジャン人ヤーシャさん(Яша)。ウラジオストクで長年果物商売を営むヤーシャさんに、1万キロ以上離れた極東ウラジオストクへ来た理由などについて聞いてみました。
–ヤーシャさんが1万kmも離れたウラジオストクへ来られた経緯を教えてください。
私はアゼルバイジャンの首都バクーから1995年にウラジオストクへ来て今年で25年目になります。当時のウラジオストクは物が不足していて、野菜も不足していましたが、果物は皆無な状況でした。そのため、アゼルバイジャンの果物をウラジオストクで販売しにきたというのがウラジオストクへ来た理由です。アゼルバイジャンは気候も暖かく、野菜から果物から、花から何か何まで豊富にあります。
–では果物を主に販売されていたのですね?
桃、あんず、チェリー、リンゴなど、アゼルバイジャンでとれるありとあらゆる果物をアゼルバイジャンから運んでは売り運んでは売りしました。果物以外にも野菜、そして花も売りました。
–果物はどのように当時運んでいたのですか?
当時はロシア国内の道路も未整備だったこともあり、飛行機や鉄道で運搬していました。今は道路が整備されたこともあるので10日間かけてアゼルバイジャンからトラックで運ぶようになっています。
–果物の売れ行きは今と昔で変化ありますか?
25年前来た時はウラジオストクで売っている果物は、リンゴなどの一部を除いては、旧ソ連諸国のウズベキスタンや母国アゼルバイジャン産だけでした。競争はだいぶ緩かったので、本当によく売れました。最盛期で市内にお店を6店舗構えていましたよ。それが段々時間が経つにつれ隣国の中国から大量の果物が入ってくるようになりました。アゼルバイジャン産のものが競争力を失っていくとともに私の商売も少しずつ小さくなっていきました。今はこのウラジオストク駅そばのお店と、フタラヤレーチカのお店の2店舗です。
アゼルバイジャン国旗が貼られたトマト
–25年前のウラジオストクで印象に残っていることありますか?
25年前来た時は、ウラジオストクにイラン人が大量に来ていました。イラン人達はウラジオストクの港から日本へ向かっていきました。アゼルバイジャン語とイラン語は近いので、イラン人達が日本へ渡航するのをよく手伝ったものです。休日なんかには、皆で一緒にウラジオストク郊外でバーベキューしたりしましたよ。楽しい思い出です。
イラン人達と一緒のヤーシャさん(手前チェックシャツ)
–ヤーシャさんはウラジオストクで家族とお住まいですか?
アゼルバイジャンに子供2人と妻が住んでいます。私は家族から離れて1人ですが、もうウラジオストクの生活にも慣れているし、むしろアゼルバイジャンにいってもやることないからウラジオストクで暮らす方がいいです。それにウラジオストクには日本車貿易をしている兄もいますしね。そうそう、この新しいトヨタのワゴン車は兄が見つけてくれたものですよ。
–最後にアゼルバイジャンについて少し教えてください。
アゼルバイジャンは気候が温かく5月で既に30-40度になります。果物、野菜、なんでもとれるとても良いところです。以前は貧しかったですが、今は首都バグーを中心にとても発展しました。裕福なアゼルバイジャン人も本当に増えましたよ。アゼルバイジャン料理も美味しくて、シャシリク(串焼き肉)やプロフ(ピラフ)が絶品です。プロフはウズベキスタンを始めとした多くのエリアで同名のものがあるのですが、素材や作り方もアゼルバイジャンのものが一番おいしいと思います。ぜひ一度アゼルバイジャンに来て試してください。
ヤーシャさんがおススメのアゼルバイジャン風プロフ
ソ連崩壊後の動乱のウラジオストクから現代までの果物商売や当時の様子について楽しく語ってくれるヤーシャさん。中国産に押され気味ではありますが古参商売人としてなんとか今後もウラジオストクで長く御商売続けていただきたいものです。
ウラジオ発:ドライフルーツ店「スハフルクティ」(ロシア語名:Сухофрукты)

トカレフスキー灯台へ行く途中のサンベリーという大きなスーパーに併設したドライフルーツの店。ナッツも豊富にある。タジキスタン人が誠実に商売している。
日本語名:スハフルクティ
ロシア語名:Сухофрукты
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ウラジオ発:25年間支持される良質お菓子店店主 アリョーナ・アナトリエブナさん

ウラジオストク駅のレーニン像の裏で25年間営業するお菓子屋「パラード コンフェート」。本物志向と誠実さが評判で、このお店以外でチョコは買わないという常連も多い。1年持たないお店も多い中、25年も続く同店の店主であるアリョーナ・アナトリエブナさん(Алёна Анатольевна)に長く続く秘訣や商品選びなどについて伺ってみました。
–アリョーナさんのご出身や学生時代について教えて頂けますか?
私はウラジオストク生まれで、先祖はウクライナから来ています。小さい頃はちょうどソ連時代の後半で、ソ連崩壊後の1990年代に大学時代を過ごしました。大学の専攻は機械製造です。
–学生時代が終わってすぐに今のお店を始められたのでしょうか?
いいえ、始めはテント布地に関連する商品で小さい商売を行っていました。それからしばらくして、その商売をやめて、お菓子の製造所と今の小売店を同時に始めました。お菓子の製造所といっても小さなものですが、そこでプリャーニキやクッキーのようなものを焼いて卸していました。そしてその一部を今のお店にも置いていました。小売りの方は、モスクワに行って全て購入し店舗で売るようにしました。製造所は10年位続けましたが、なかなか採算が合わないこともあり、15年前より小売り一本にしました。
–モスクワで購入するというのはモスクワによい商品が多いということでしょうか?
私のお店は、より思考ナチュラル、昔ながらの製法で、なるべく身体によいものを揃えるように心がけています。そういう私の嗜好に合う商品がモスクワ方面に多いのであちらから仕入れるようにしています。うちのお菓子は少し値段が高めのものが多いですが、本物志向のお客さんに支持されています。
–お店でおすすめの商品を3つ教えていただけますか?
どれも自分で研究して、納得して仕入れているので難しいですが、あえて3つといえばこんな感じです。1つ目はモスクワ発で自然原料と製法にこだわった「コロムチャノチカのパスティーラ」です。2つ目はカザフスタンから仕入れている麺類。なかなか美味しいですよ。3つ目はサンクトペテルブルクで作っているプーチン大統領、スターリンなどの包み紙が目印の本格手作りチョコです。1粒で80円位と高級ですが、さすがに美味しくよく売れます。
–お店にはベラルーシのお菓子もありますがベラルーシのお菓子は有名なのですか?伝統的にベラルーシはお菓子に限らず食品全般の品質が高く、ロシアでは人気があります。最近はそうでないものも出てきてはいますが、ロシア人としてはまだ高品質のイメージをもっています。うちでもよく仕入れています。
–アリョーナさんは商品をどのように選んでいらっしゃるのですか?
常に本やインターネットで栄養のことや、消費者の嗜好などを研究しています。
–昔と今でお菓子の傾向で変化はありますか?
ソ連時代をふくめ、天然素材を手作りに近い技法で丁寧につくるという伝統がありました。その伝統は国家品質基準(ГОСТ)によって支えられていました。2012年にそれが無くなり、品質の低い商品が大量に出回るようになりました。防腐剤や添加物を使うもの、効率化された機械製法などが導入されたのはこの頃からです。その他に昔と今の変化としては包み紙の変化があります。昔は光沢のないプレーンな包み紙でしたが、最近はツヤのある包み紙が人気です。
–お店に来られるお客さんは毎年増えていますか?
おそらく増えてはいない気がします。年々、甘いものを控える風潮があり、特に若い世代は甘いのを食べることが少なくなっているのではないでしょうか。
–最後にアリョーナさんの好きな休日の過ごし方について教えてください?
うーん、難しいですね。家では子供の教育に時間をさいたり、家事もしますし、仕事も結構ありますからね。自分で自由にすごすということはほとんどありませんよ。でも1つ好きな映画ならあります。フォレストガンプです。この映画の中のセリフ「人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみないと何味かわからない」というのがあり、とても私の心に残っています。
沿海州の地元チョコレート菓子が趨勢の中にあって、モスクワや国外の良品を扱い続けるアリョーナさん。お客さんが2人も入れば一杯の小さなお店でですが、30年、40年と続いていってほしいものでです。
お店の紹介:http://urajio.com/item/1376
ウラジオ発:プーチン大統領グッズの多い土産店店主 マリナ・エヴゲニエブナさん

噴水通りの老舗お土産店「スベニールナヤ ラフカ」。このお店はプーチン大統領Tシャツの品揃えがよいことでも定評がある。同店は夫婦で奥さんのマリナ・エヴゲニエブナさん(Марина Евгеньевна)とご主人のセルゲイ・ヴィクトローヴィチさん(Сергей Викотрович)によって運営されている。今回は奥さんのマリナさんにお店の歴史や、商品への思いなどについて聞いてみました。
–マリアさんはウラジオストクでお生まれになられたのですか?
はい、私はウラジオストクで生まれました。ただ先祖は1万キロ以上離れた旧ソ連諸国です。曾祖父はモルドヴァの出身で曾祖母はウクライナのオデッサから1930年代にウラジオストクへ来ました。
–ご先祖さんはなぜこんな1万キロも離れたウラジオストクに来られたのですか?
曾祖父はモルドヴァで小麦の卸売り販売など、小さいビジネスをしていました。1930年代のソビエト連邦は共産主義へまっしぐらで曾祖父のような個人事業を営む者を危険視していました。そのため出来るだけ遠い場所へ流刑にしてしまえということで、極東のウラジオストクに送られたのです。曾祖父がとてもたくましい人だったので、ウラジオストク来てからもめげずに自分の手で家を建てて暮らしていました。その家は今も残っていて、親戚が住んでいます。
–マリアさんとセルゲイさんが今のお店を始める経緯を聞かせて頂けますか?
私は海軍の商品供給部門でずっと仕事をしていました。7年前にこの噴水通りで今のお店を始めました。ただ、当初はウラジオストクに沢山いる軍人さん向けの軍用品ショップでした。しばらくして、旅行者をよく見かけるようになったので、商品展開を旅行者向けのお土産に切り替えていきました。
–プーチン大統領グッズ等、店頭の商品構成が独特ですがどのように選ばれているのですか?
商品は私と主人のセルゲイが2人で相談しながら発注しています。主人はピンバッチが得意で、私はソ連らしい商品が好きで店頭に並べています。どことなくお店の雰囲気もソ連っぽいと思いますが、どちらかというと私の趣味です。レーニンやスターリンの描かれたお皿も新入荷しましたが、これもソ連らしいものです。プーチン大統領グッズは日本人旅行者が好きなので展開しています。たまにロシア人で不快に思う人もいるようですけどね、特に政治的な意味はないですよ。うちの商品は自分達が好きなモノも置きますが、一番はやはりお客さんの声です。私達は外国語は全くできませんが、スマホの翻訳機能使ったりしながら、お客さんとよくコミュニケーションして、各国旅行者の好む傾向をとらえて、お店に展開するように努めています。
–各国の旅行者によって売れる商品に違いはありますか?
はい、すごい違いがあります。昨年も多かった韓国人旅行者は典型的な、伝統ロシアグッズを欲しがります。うちではよく一般的なマトリョーシカを買っていかれます。うちは日本人旅行者も頻繁に訪れますが、彼らはプーチン大統領Tシャツを本当によく買っていかれます。それとチェブラーシカも日本人だけに売れる商品ですね。ロシア人は帽子とか、伝統的衣装であるサラファンとか、スラヴ民族時代から続くお守りとかそういうものです。
–今年はコロナウイルスで御商売も大変かと思いますが?
そうですね、かなり大変でテナント代もなかなか高額だったので、コロナ騒動を機にすぐ隣の小さいスペースに移動しました。一応、政府が2か月にわたり2万ルーブル(約3万円)を支援してくれたので、助かりましたが、それでも中々先が見えないです。とはいえ、1991年にソ連が崩壊した際は、長い間にわたって、私の父は給料ストップで働いていたことがありますから、それに比べると全然いいかとは思います。
–最後にマリナさんの好きな休日の過ごし方を教えてください?
夏は砂浜と海が好きなので、水のきれいなシャモラビーチに行き寝そべるのが好きです。私達は森の中に家があるのですが、冬はその森の中で過ごすというのが何とも気持ちいいです。
空手歴12年で日本大好きな夫セルゲイさんと、いつも笑顔で対応してくれるマリアさん。噴水通りの老舗土産店として、なんとか末永く残ってもらいたいものです。
空手の他、日本の武道にとても詳しいセルゲイさん
お店の紹介:http://urajio.com/item/1326
ウラジオ発:ドライフルーツ屋タジキ人店員 イブラギモル・アブドラさん

トカレーフスキー灯台へ行く途中にある人気スーパー「サンベリー」。その敷地内のドライフルーツ店で毎日店頭に立つのがイスラム教徒タジキスタン人であるイブラギモル・アブドラさん(Ibragimov Abdulla)。ウラジオストクから8500kmも離れているタジキスタンから来ている理由やウラジオストクでの生活等について聞いてみました。
–アブドラさんはいつ、なぜウラジオストクに来られたのですか?
ソ連が崩壊したのち、1990年代に父がまずウラジオストクに来ました。父はウラジオストクで長い間、学校の先生をしておりました。学校の先生の給与はそれほど高くなかったので小さい商売を始めるようになりました。僕は生まれはタジキスタンで、2010年まではタジキスタンで暮らしていました。2010年父が全家族を呼ぶような形で、僕もウラジオストクに来ることになりました。そしてそのままウラジオストクの小学5年生に入学しました。タジキスタンは2重国籍を認める国なので、ロシアでロシア国籍を取得し、今に至っています。2年前まで兄弟5人と両親の7人で暮らしていたのですが、母と4人の兄弟はタジキスタンに戻りました。僕はそれからずっと1人暮らしで、父は父で別に暮らしています。
–このお店のことについて少し教えていただけますか?
このお店は1年前に父が開きました。ウラジオストク市内に2店舗あります。うちは5人兄弟で僕が長男で成人しているので、一家の仕事として手伝っています。イスラムの世界では家族が多ければ大きいほど経済的にも反映するという考えがあるので、そういう風に兄弟皆でやっていくんだと思います。
–家族が多ければ多いほど豊かになるんですか?
はい。イスラム社会ではそういう考えが強いと思います。昔は、裕福になること自体をコーランが否定しているというような風潮がありました。でも今は裕福になることはいいことという風潮がありますね。
–アブドラさんは毎日店頭に立っていますが大変でないですか?
お店自体の休日はなく、ほぼ毎日店番をしていますが、全然大変でないですよ。ずっと座っていて、お客さんが来たらちょっと動くくらいですから。時間も自由にあって、本も沢山読めますしね。
–すごい分厚い本が何冊もありますが、どんな本読まれているのですか?
ロシア語の小説、経済関連の本、母国タジキスタンの物語、それとペルシア語の本です。ペルシア語は僕にとって外国語で、ちょっと難しい部分もありますけど、脳を発達させるために読んでいます。スマホではペルシア語でイラン人の友人とやり取りしたり、とりあえずコミュニケーションには困らないレベルになりました。そして今は日本の村上春樹も読みたくて、本屋に立ち寄ったんですが、なくて残念でした。
–アブドラさんはすごい勉強家なんですね?
別にそんなこともないと思いますが、今はとりあえず色んな事に関心があるんです。自分を成長させるのも楽しいですし。僕は英語ができないので、今後は英語も勉強して、自由に扱えるようになりたいと思います。
–アブドラさんの休日の過ごし方教えていただけますか?
ほとんど休日はないのですが、たまに友達と会ったりして過ごします。1人で散歩するのも好きです。夜の軍艦通りをよく歩くのですが、潜水艦もライトアップされたりと、とても綺麗です。今の僕にはあまり休日が必要ないし、特にそれで困ることもないです。
–最後ですが、夢や計画があれば教えていただけますか?
とりあえず色んな国を見てみたいですね。イラン、トルコ、マレーシアとかいいです。イランは街が綺麗だし、なにせ物価が安いと聞いています。マレーシアはイスラム教の国なのに経済発展も遂げて理想的なイスラム国家だと思います。そしてウラジオストクのすぐ横にある日本も是非行きたいです。直近の人生計画としては、数年以内にカザンに移り住み、カザンで働きたいです。小さい頃に一度行き、とても好きになりました。カザンはロシアでありながらイスラム教徒が人口の50%で友達も6-7人いるので生活も楽しそうです。そしてカザン行って、家族を築いて、その後は故郷のタジキスタンで女学校を開こうと思っています。おそらくイスラム教国全般なのですが、タジキスタンでは結婚後に家庭内暴力があったり、言葉で夫のなじられたりとするケースが多いんです。そしてその苦悩の状況をただ耐えるだけ、どうしたらいいかわからないという妻、女性が多くみかけられます。プライベートなこととして警察も介入することはほとんどありませんので、場合によってはコーランが禁じる自殺に追いやられるケースもあります。原因としては、イスラム社会では男は結構自由に行動でき、外の世界のことも色々知るチャンスがあり弁もたつのですが、女性は極めて身近なことしか知らず、狭い世界に生きているというのが僕の考えです。小学5年生からは女性だけ男性とは切り離して、色んなことを学ばせ、現在あるような状況を打開させるようにもっていければと思います。コーランでは完全に男女平等を謳っているのですが、どうも男はえらそうにしていることが多くこまったもんです。現代はこんなに平等になっているのですからタジキスタンも少し変わらないといけません。学校の名前はもう決まっていて「SAUDA」です。アラビア語で幸福という意味で、実は僕の初恋の女の子の名前なんです。作ったら彼女びっくりするかなぁ。
イスラムの教えでは一番大切なのを「誠実さ」といい、女学校を作りたいという夢を抱きながらウラジオストクでの日々を過ごすアブドラさん。仲間も多く勉強家のアブドラさんがどんどん夢をかなえ、タジキスタン社会まで前進させる日は近いかもしれません。
お店の紹介:http://urajio.com/item/1393
ウラジオ発:ウラジオテイストにこだわった土産店店主 イリーナ・セルゲエヴナさん

ウラジオストクらしいマリンテイスト店内とお土産が揃う「ヤーカリЯкорь」を運営するラフコフスカヤ・イリーナ・セルゲエヴナ(Ирина Лобковская Скргеевна)さん。ウラジオストクらしさにこだわるイリーナさんに開店の経緯やウラジオストクのことについてお尋ねしてみました。
–イリーナさんはウラジオストクのご出身ですか?
いいえ、ウラジオストクではなくウクライナで生まれました。ウクライナで生まれたはしたのですが、
両親が軍で勤務していたので、その都合で小さい時にすぐウズベキスタンの首都タシケントへ行きました。
タシケントで幼少期、学生時代を過ごし、その後2005年にウラジオストクへ来ました。
–タシケントで学生時代はどのようにすごされたのですか?
歴史を専攻していました。2年間は学生向けに、世界の歴史と合わせて、カザフスタン、ウズベキスタン等の歴史も教えていました。友人達は今もタシケントに住んでいてよくコンタクトをとっています。
–2005年にウラジオストクに来てから今までの経緯を教えてください。
貿易会社に入社して仕入れ買付けを担当することになりました。仕事の買付けで色んな国を巡ることがあったのですが、ある時スペインにいって衝撃を受けたんです。スペインでは現地の使い古しの金属、海の流木などを使って現地らしいお土産を売っていました。翻ってウラジオストクを見たとき、現地で生産された現地らしいお土産ってあまりないなと。ウラジオストクでいろんなお店を見て回ってみても、スンドゥクさんがかろうじてウラジオストクテイストを打ち出していましたが、私は私なりの感覚でやってもいいかなと思いました。それで2018年に第一号店をスポーツ湾沿いに開きました。10㎡の小さいお店です。
–1号店がうまくいって2号店となったのですね?
すごい成功というわけではありませんが、ぼちぼち回るようになったというのが1つ。それとウラジオストク市が観光に力を入れて、街をきれいにしたり、古い建物を大切に保存したりといういい流れがあったので、2号店を開きました。今ウラジオストクではツーリスト警察というのも導入されて日中韓の3か国語でも対応できる警察の体制も整ったりと、旅行環境が見違えるほど整備されたのです。
—店内は海らしい商品、ウラジオストクの絵画などもありますがどのように商品を選んでいるのですか?
私としてはウラジオストクらしさ、できるだけロシア製造、そしてウラジオストクのイラストレーター、写真家、
画家を店内で表現、紹介したいと思っています。幸い地元の多くのアーティストと知り合い、協力体制を築いています。先日も絵画で素晴らしい水彩画を描く女の子がいて、その子がウラジオの街を題材に何点か書いてくれたので、それを販売させてもらったりしています。その他にもウラジオストクの自然を代表する「タイガ」。そのタイガの恵みであるハチミツ、イヴァン茶なども置いています。アメリカやドイツのお客さんも買っていってくれる商品です。
–最後に旅行者におススメのスポットとイリーナさんの好きなスポットを教えてください。
お店に来る旅行者には私の好きなスポーツ湾を歩くことをお勧めしています。特に25歳以下の若い子にとっては楽しいスポットだと思います。私も個人的にリラックスしによくいきます。それと噴水通りのミリオンカもおススメです。ミリオンカには中国人、朝鮮人、日本人を含めた様々な過去の歴史がつまっていますので、その空気感を味わいながら歩くといいかと思います。そして個人的に行く場所ですが、ガラスビーチとシャモラビーチです。シャモラビーチで友人と過ごしたりするのがとても好きです。
イリーナさんのお店の内装は全てご自身で塗ったり、取り付けたりしたもの。お店自体がハンドメイド感があります。お店はイリナさんのお母さんと2人体制でどちらかがお店にいます。トイレ・WIFIも開放していて旅行者フレンドリーなお店(ウラジオのお店はどこもそうですが)になっています。
ウラジオ発:アルメニア料理カフェ「シャシリーチニー ドゥヴォール」(ロシア語名:Шашлычный двор)

市内中心から一番近いアルメニア料理のカフェ。コックのアッシャクさんとホール担当のアフェリャさん夫婦で営む。アルメニア風の豚や牛のシャシリク(串焼き肉)やバストゥルマがお店のおすすめ。世界的にも評価の高いアルメニアワインやアルメニアウォッカも置いている。周辺住民に人気のカフェ。なおアルメニア国旗の赤は血、青は空、オレンジはアプリコットを示す。
日本語名:シャシリーチニー ドゥヴォール
ロシア語名:Шашлычный двор
平均予算:700~1200ルーブル
メニュー表記:ロシア語、写真付き
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ウラジオ発:観光スポット「聖ニコラリスキー大聖堂」(ロシア語名:Никольский кафедральный собор)

日露戦争で亡くなった兵士を追悼するために建設された教会及び教会学校。ソ連時代邸宅として使われたこともあるが、1971年に当時では異例として教会の再建設が許された。ウラジオストクでは一番古いといわれる教会。
日本語名:聖ニコラリスキー大聖堂
ロシア語名:Никольский кафедральный собор
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ウラジオ発:琥珀店「ルスキーヤンタリ」(ロシア語名:РУССКИЙ ЯНТАРЬ)

世界的琥珀の産地であるロシアカリーニングラード州の琥珀を専門で扱う琥珀店。店内は3つのゾーンからなっており、奥は琥珀に関するミニ博物館となっている。品質保証もしており万が一商品に問題があった場合は10倍補償すると謳う。
日本語名:ルスキーヤンタリ
ロシア語名:РУССКИЙ ЯНТАРЬ
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