戦後の日本人抑留者の手による建物特集!

ウラジオストクには、1945年8月15日の終戦後も、日本に戻ることができず極東ロシアに残らざるを得なかった日本人が沢山いました(極東ロシア全体で約57万人、5万5千人が亡くなったと言われます)。その日本人達はロシアの前政府であるソビエト連邦により労働を強制されました。強制労働という中でも、多くの日本人は真面目に、秩序正しく働いたと言われます。その当時の日本人と交流したロシア人の間でもそんな立派な日本人の話が語り継がれています。そんな日本人抑留者の手による建物が今も街中で見ることができます。(監修:極東連邦大学 モルグン・ゾヤ先生)

1)「ディナモスタジアム」http://urajio.com/item/1017

ルチという地元プロサッカーチームのホームグラウンドとして使われている。
 
 

2)「石垣とロトンダ」http://urajio.com/item/1019

エクアドルホテル近くで、スポーツ湾を見下ろす。今も写真スポットとして夕方はよく人が訪れる。
 
 

3)「アヴァンギャルドスタジアム」http://urajio.com/item/1022

老朽化は進んだが、ソ連時代は様々なスポーツ大会が行われた。
 
 

4)「集合住宅посьетская 23」http://urajio.com/item/1023

ウラジオストク駅のすぐ側、レーニン像の後ろの立派な集合住宅。
 
 

5)「集合住宅светланская 117」http://urajio.com/item/1024

隣には政府関係の役所が達、ロシアの国旗が立っている。立派な建造物。
 
 

6)「民家пушкинская 20」http://urajio.com/item/1025

プーシキン劇場から徒歩2-3分。立派な建物の第9学校の通り向いにある。隣の22も日本人による。
 
 

7)「民家пушкинская 22」http://urajio.com/item/1026

プーシキン劇場から徒歩2-3分。立派な建物の第9学校の通り向いにある。隣の20も日本人による。

 
 

8)「旧浦潮派遣軍司令部」http://urajio.com/item/1018

1940年代後半に建物を改修工事した際に、屋根の部分を中心に日本人抑留者が手掛けた。
 
 

9)「マラジョーシ劇場」http://urajio.com/item/0528

演劇劇場として今も街の人に愛されているこの劇場も日本人抑留者の手によるものと言われている(ただいま確定調査中)。
 
 

10)「集合住宅 Семёновская 30」http://urajio.com/item/1027

中央広場にほど近い、旧日本国総領事館の通り向かいにある集合住宅も基本部分は日本人抑留者により作られた。
 
 

 

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