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ウラジオ発:線路そばのケーキカフェ「タシキノヴァ ベーカリー」(英語名:Tashkinova bakery)

ウラジオで希少なシベリア鉄道線路沿いのケーキ・カフェ。デザインされたケーキが人気。飲み物だけでの利用も可能で近隣のオフィレディーによく利用されている。

日本語名:タシキノヴァ ベーカリー
英語名:Tashkinova bakery
平均予算:300~500ルーブル
メニュー表記:ロシア語

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ウラジオ発:生粋のウラジオ女性 オーリャおばさん

ウラジオストクは今も昔も移民の多く集まる街です。1930年頃はウクライナを中心とした東ヨーロッパから多くの移民が訪れました。1900年台後半は旧ソ連邦のウズベキスタン、キルギス、タジキスタンなどの中央アジアなどより多くが移住してきて、そして2000年代になると北朝鮮、中国などから多くが労働者として移入してきました。今となっては数少ない生粋のウラジオストク人であるオーリャおばさんにウラジオストクの街の変化などについてお話を伺いしました。
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–オーリャさんの家はとても歴史的な感じのするものですが、築何年ですか?
ロシア革命が1922年に終わって、その12年後の1934年に建てられたものですよ。その当時のウラジオストクにはこういうタイプの小屋みたいな家が至る所にあったものです。今は大きなマンションばかりになって、このタイプの家はめっきり見なくなりましたね。
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–オーリャさんはこの家で生まれたのですか?
そうですよ、私はこの家で生まれ今までずっとこの家にいます。この家から離れたことありませんよ。ちなみに
この5月11日で64回目の誕生日です。

–オーリャさんのご両親もウラジオストク生まれですか?

私の両親も、祖父もウラジオストク生まれです。今ウラジオストクにいるロシア人はウクライナを始めとした他の都市から来た人が多いですが、うちは生粋のウラジオストク人ですよ。

–オーリャさんはウラジオの歴史をずっと見てきたわけですね?
そうですね、昔は通りの名前も今とは違ってね、例えば今のスベトランスカヤ通りはレニンスカヤ通りといって、
ソ連時代の色が濃かったです。街の風景も、1970年くらいから国が供給するマンションがどんどん立って、ウチみたいな小さい家は消えていきました。この50年の街の変化はすごいですよ。話しだしたら長くなりますので、今度また来てください、色々教えますよ。
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–オーリャさんの家の隣は、ウラジオが誇る芸術家パベルさん一家ですよね?
数年前に彼らが移り住んできて、それからずっと仲良くやっているよ。奥さんのナターシャや子供たちもよくしてくれてね。良い家族で私も助かっているよ。芸術家としてもうまくいっているようだし、楽しみだよ。
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ソ連時代の木造家屋がどんどん壊される風景を寂しくかんじ、今も築80年以上の木造家に住み続けるオーリャさん。オーリャさんの家には古いサマヴァールなどもあり、
お客が来るとそのサマヴァールを持ち出し、火を炊いて紅茶を入れてくれたりと昔ながらのもてなしをしてくれる。ウラジオストクの歴史、文化の生き証人のようなオーリャさんは、今も元気に高台からウラジオの街を見続けています。

ウラジオ発:日本を愛する女性写真家 ベロニカ・スタへ-ヴァさん

生け花のイベント会場で熱心にカメラを構える女性ベロニカ・スタヘーヴァさん(Вероника Стахеева)。イベント後にお時間を頂戴し、ご自身のキャリアや日本との関わりなどについてきいてみました。
 
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–本日は生け花イベントの写真撮影ありがとうございました。いつもこういうイベントでカメラ撮影されているのですか?

そうですね、フリーカメラマンとして活動しているので、イベントのあるような時はよく呼ばれます。

–ベロニカさんはずっとカメラマンとして活動されているのですか?

いいえ、カメラマンになったのはまだ10年くらいです。若い時はモデルとして活動したことはありますが、
撮る側ではありませんでした。大学卒業してからの仕事も主に国営の科学研究所勤務で、カメラとは全く関係ありませんでした。
Вероника Стахеева4
Вероника Стахеева2

 

–ではどのようにカメラマンとなられたのですか?
趣味としてカメラをやっており、自然や抽象的な写真などをよく撮っておりました。その作品を見て頂いた人から評価を受け次第にプロカメラマンの世界に入っていきました。


–今日は生け花のイベントだったのですが、日本に興味があるのですか?

そうなんですよ、私はすごく日本が好きで富山などの北陸を中心に5回ほど日本に行っています。日本は私の故郷じゃないのかと思うほど好きなんです。日本の自然も街もとても綺麗で面白いです。また行きたいです。

–日本へはカメラマンとして行かれるのですか?
ええ、日本で国際写真展というのが開かれ、世界中の写真が一同に集まったコンクールが行われ、私も招待されました。その写真展に参加するために訪日して、そのついでに旅行するような感じです。もちろん旅行中も写真は撮影します。

–国際写真展ではどんな作品を出されたのですか?

私の写真というのは、自然、イベントの写真、雑誌のモデルの写真など色んなものがあるのですが、写真展に出展したのは抽象的な写真です。幸い作品はすぐ売れました。今後も国際写真展に呼んでもらえそうなので、日本に行って色々写真とりたいですね。
 

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彼女の写真はロシア国内のみならず、海外でも評価され色々な国のコンクールなどに今後も招待されるらしいです。日本でももしかしたら彼女の写真に触れる機会があるかもしれません。とても好奇心旺盛で元気なウラジオ女性でした。

ウラジオ発:24時間営業の印刷センター「インターフェイス」(ロシア語:ИИТЕРФЕЙС)

ウラジオ市内でもっとも人気のある印刷センター。コピー、パソコン利用、その他大概のビジネスニーズに応えてくれる。24時間営業も嬉しい。お店では黒白の猫が飼われていて、ちょくちょく店の中を歩いている。

日本語名:インターフェイス
ロシア語名:ИНТЕРФЕЙС

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