ウラジオストクの地元に根付いたコンサートホール「フィラルモニア音楽劇場」。1939年からこの劇場のオーケストラとして活動するのが「沿海州立太平洋交響楽団」。戦前戦後の困難な時期もロシア全土でコンサートを行い、今も日本を含めたアジア全域でコンサートツアーを続ける。今回は80周年を迎えたこの劇団を率いる総指揮者でロシア連邦名誉芸術家であるアナトリー・スミルノフさん(Анаторий・Смирнов)に御自身の指揮者人生や出身地ウクライナの事などについて伺ってみました。
ご出身はどちらですか?
ウクライナのドニエプロペトロスク出身です。兄弟はウクライナで今も生活しています。私は現在60歳ですが、40年間はウクライナ、20年間がロシアになります。パスポートはロシアですが、心は完全にウクライナ人です。
アナトリーさんはどのくらい音楽教育を受けてきたのでしょうか?
ウクライナで音楽の初等教育機関である音楽学校に7年通い、その後は中等教育である音楽専門学校で3年、そしてカンセルバトリと呼ばれる音楽学院(大学)に10年間通いました。ウクライナにあるリビウ音楽学院では6年間はバヤンというアコーディオンに似たロシア民族楽器を学び、そこから改めて指揮者として4年学びました。その後、研修が2年間あったので合計22年間の音楽教育を受けてきたことになります。
ロシアの民族楽器を6年学んだ後、指揮者としての専門教育を6年受けた
22年間の音楽教育の後、ウラジオストクに来るまでの経緯を教えてください。
卒業後は7年間ウクライナにあるリビウ オペラ・バレエ劇場で指揮者として活動しました。その後ロシア.ヴォルゴグラードで行われた指揮者の大会で優勝し、1998年よりロシアヴォルゴグラード音楽劇場の首席指揮者として15年間指揮を振りました。2013年にウラジオストクに現在のマリンスキー劇場の前身であるオペラバレエ劇場が誕生する際に首席指揮者として就任しウラジオストクに来ることになったわけです。
2013年に沿海州オペラバレエ劇場OPENに伴ってウラジオストクに招聘された
遠い街であるウラジオストクの印象はいかがでしたか?
海、太平洋、船といった風景がとても気に入りました。
ウラジオストクのオペラバレエ劇場の仕事はいかがでしたか?
立ち上げの一番最初の段階から関わることができとても有意義でした。オーケストラからバレエ団員を集めるところから裏方仕事まで全部を自分の裁量で進めることができ素晴らしい経験となりました。曲目も全て自分で組み立てることができたので楽しかったです。
ウラジオストクのオペラ・バレエ劇場から現在までを教えていただけますか?
オペラ・バレエ劇場で首席指揮者として活動していた際に、今働くフィラルモニア音楽劇場で指揮者コンクールがあり、そこでも優勝し、フィラルモニアに招待を受け首席指揮者として働くことになりました。当時は2つの劇場を掛け持ちしていた状態です。2016年にオペラ・バレエ劇場がマリンスキー劇団所属となりマリンスキー劇場となりました。しばらくマリンスキー劇場でも指揮を振りましたが、その後マリンスキーを辞めフィラルモニアの指揮者と極東芸術アカデミーの教職活動に切り替えました。
フィラルモニア音楽劇場の首席指揮者として沿海州立太平洋交響楽団を率いる
極東芸術アカデミーでのお仕事について教えて頂けますか?
ここは芸術家になるための最終教育を施す機関です。各分野での芸術教育を終えた19、20歳のプロ芸術家を目指す学生が入学してきます。私はオペラ部門の部門長です。オペラは指揮者、監督、舞台芸術家、音響、衣装など多くの人が関わりますが、その全てをまとめて1つの演目とする、その責任者が私です。オペラ歌手の指導もしますが、基本的にオペラ歌手の発声指導についてはボーカルの専門教授が担当します。
音楽、絵画、演劇の3つからなる極東芸術アカデミー
卒業生はオペラ業界すぐ働くことができるのしょうか?
はい、ほぼ全ての卒業生はオペラ劇場で、オペラ歌手、舞台装置、衣装など色んな形でオペラ業界で仕事ができます。オペラの基本言語はイタリア語になるのですが、うちの学校でもロシア語オペラのみならず、イタリア語オペラも教育します。時に4時間超のオペラもありますが、完全な形でこなせるようになります。そんな卒業生はロシアではもちろん、場合によっては海外での活躍もできるのです。
卒業生の9割は劇場や教育者として音楽人生を歩めるという
ウラジオストクは音楽、芸術の街という雰囲気がありますが、なぜでしょうか?
沿海州には初等教育機関として44もの国立音楽学校があります。ウラジオストクだけに限ると8校の国立音楽学校、そして中等教育機関の芸術専門学校、そして私が教鞭をとる極東芸術アカデミーがあるわけです。これは全て国立で国がお金を出して育成、運営しています。その他に民間の音楽、芸術教育機関があり、十分な芸術教育機関が整っています。
ロシアではなぜこんなに音楽を含めた芸術教育に国はお金を出すのでしょうか?
ロシアでは芸術は人間の魂を司り、魂を構成する非常に重要なものと捉えています。ロシア政府はそこをよくわかっており、政府予算の第一優先として芸術分野にお金を割き、その後、政治や経済の分野へ分配していきます。ウクライナでも全く同様の考えです。ロシアには民間の音楽劇場、演劇劇場もありますが、それらも一部国が支えています。芸術の分野では自国の人を育成するのみならず、他国から優秀な芸術家を招待したりもしてロシアの芸術レベル向上も常に図っています。
アナトリーさんは日本や日本の音楽家とも交流をもたれていますか?
ウラジオストクには不定期で日本の演奏家が来られ共演するのですが、それ以外に定期的に今瀬康夫氏というホルン奏者兼音楽プロデューサーが来てくれ、その今瀬さんとは長年の付き合いがあります。2018年10月には彼のアレンジで、私の人生初めての日本公演が実現しました。日本で有名な曲「大地讃頌」というのがありますが、その作曲家である佐藤眞先生が2017年にウラジオストクに来られ、一緒にコンサートを行いました。そして2018年10月には私達「沿海州立太平洋交響楽団」の計40名が大分県九重町を訪れ、佐藤眞先生と一緒に共同コンサート in Japanを行ったのです。まだ東京には行ったことがないので、東京の音楽家や団体とはまだ関係を持っていないので、ぜひ交流を持ち、共同で何かできれば素晴らしいと思っています。ぜひ交流を持ちたいです。
ウラジオストクに来る多くの日本人演奏家との共演も多い
2018年10月には大分県九重町で「大地讃頌」の作曲家佐藤眞氏とジョイントコンサートを行った
初めて行かれた日本の印象はいかがでしたか?
空港は福岡空港を利用したのですが、その道すがら街を見ると、非常にドイツに似ていると思いました。私は6年間ドイツでも活動したのですが、ドイツの街並みというのは、キッチリ、キレイにという感じです。日本の街並みもまさにそんな感じでした。国としての雰囲気もドイツに似ていて、経済的にも基盤が強く、政府がしっかりとしている、そんな印象を受けました。私にとっては極めて印象のいい国、それが日本でした。
日本以外の外国への公演も多いのですか?
中国や韓国でも公演があります。特にここ数年は韓国での公演が多く、昨年は5回ほど沿海州立太平洋交響楽団としてコンサートを行ってきました。
韓国でも評価が高いアナトリーさん率いる沿海州立太平洋交響楽団
ウラジオストクでは母国であるウクライナ文化やウクライナ人に出会うことは多いですか?
ウラジオストクにはびっくりするほど多くのウクライナ出身者がいます。大概の人は100年前にソ連の政策としてウクライナから極東ロシアに送られてきた離散家族の子孫なのですが、それにしてもウクライナ出身者は多いです。ウクライナの都市名が街の名前になったりしている場所も少なくありません。例えば、ウクライナにはポルタバという都市がありますが、沿海州の中部にボルタフカという街があります。おそらくウクライナのボルタバ出身者が築いた街なんでしょう。枚挙に暇がありません。またウクライナ文化や民族舞踊、音楽が披露されるウクライナフェスティバルもよく開催されます。ウラジオストクではウクライナ人子孫、ウクライナ文化が味わえます。
ウクライナへの思いの強いアナトリーさんはウクライナイベントによく顔を出す
ウクライナ出身者であるのはお互いにすぐわかるのでしょうか?
ウクライナ出身者の子孫は大体ちょっとしたウクライナアクセントが残っています。かすかなものですが、それでウクライナ出身者というのはわかりますね。
ウクライナの民族音楽というのはロシアのものと違いがありますか?
ウクライナの民族音楽は全般的にメロディーがゆったりとし、歌も伸びる感じのものが多いです。
ウクライナの人はなぜ極東ロシアに送られることになったのでしょうか?
ウクライナは穀倉地帯で、ウクライナ人は真面目で、勤勉によく働き、畑を上手に耕します。当時、そんなウクライナ人の勤勉さは極東ロシア開墾を目指していたソ連政府に都合がよかったに違いありません。実際、ウクライナから船でウラジオストクに送られたウクライナ人はウラジオストクから極東ロシア全体に散り、開墾、開拓しソ連政府の予想通りの活躍をしました。私はそんなウクライナ人魂は誇りですし、素晴らしいと思っています。
1930年代に穀倉地帯のウクライナから1万キロ以上離れたウラジオストクへ送られてきた
最後にウラジオストクを訪れる旅行者に一言頂けますか?
ここ数年旅行者が私達の劇場にも来てくれるようになり、特に韓国、日本人が増えています。私達のオーケストラは力強い音を出しますし、私もベストで指揮を振ります。クラシック音楽に今まで縁がなかった方もこれを機に是非ロシアの芸術に触れられるといいかなと思います。日本の皆さんとお会いできるのを心より楽しみにしています。
フィラルモニア音楽劇場では月2-3回アナトリーさんのオーケストラが楽しめる
ウラジオストクのクラシック音楽文化と教育において中心人物となるアナトリーさん。彼の故郷はウクライナで、彼の魂はウクライナと共にあるという。アナトリーさんはウクライナ人やウクライナ音楽の話題に触れると、目を輝かせて語ってくれるのが印象的でした。彼の指揮や振る舞いには、彼の言う真面目で勤勉なウクライナ人というのが覗えます。60歳を感じさせない精力的なアナトリーさんの指揮とコンサートがウラジオストクで日常的に聞けるのは贅沢です。今後もアナトリーさんがウラジオストクに残り、沢山指揮をふってくれるのを願っています。
フィラルモニア音楽劇場の紹介:http://urajio.com/item/0507
今瀬康夫氏の紹介:http://urajio.com/item/1928
極東芸術アカデミーの紹介:http://urajio.com/item/0814
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