ウラジオ発:沿海州の自然と文化の伝道師 ヤン・コリャジンスキーさん

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沿海州にまつわる歴史、動植物本から地元アーティストの工芸品などを扱うお店「ルナ イ コシュカ(Луна и кошка)」。同店は一家で運営されているが、そのご主人であるヤン・コリャジンスキーさん(Ян Колядзинский)は動植物のスペシャリスト。このヤンさんに、ウラジオストクに来られた経緯や、沿海州の動植物、特異性などについて伺ってみました。
 
 

 
 
–ヤンさんはウラジオストクのお生まれですか?
私はバルチック海を向く1961年にラトビアで生まれました。父はラトビア人、母はロシア人。そして祖母はドイツ人です。
 
 
–そんな遠くに住むヤンさんはなぜウラジオストクに来ることになったのですか?
学生時代はカフカス地方のラストフナドヌー(Растов На Дону)という都市ですごしました。植物学、環境学を専攻しており、その学生時代にベラルーシ生まれの妻と知り合いました。1985年頃、はじめて私は出張でウラジオストクに来ることになりました。
 
 
–どういう経緯でウラジオストクに残るようになったのですか?
ウラジオストクに来てすぐにここは私の家だと瞬間的に感じました。タイガを始めとした植物環境、海に囲まれた土地、すべてが私を魅了しました。当時のウラジオストクは閉鎖都市で7日間しか滞在が許されず、その期間内に仕事を探す必要があり、当時あった植物園大学に職を得ることになりました。それがウラジオストク生活の始まりです。植物園大学で勤務の後、ソ連科学アカデミー植物園(現植物園)に移りました。
 
 
–植物園大学や植物園のお仕事について教えて頂けますか?
主に新種菊の育成、実験です。ただビニールハウス作りからボイラー焚きまでやるような環境でした。また植物を遠隔から持込み、逆に遠隔に移植するような研究もおこなっていました。私は学生時代に極東から遠く離れたカフカス地方で極東ロシア産14種を見て、植物を人工的に移植するということにとても関心を持っていました。
 
 
                                都市景観に合う新種菊の栽培に取り組んだ
 
 
–植物園からお店OPENまでの経緯を教えていただけますか?
植物園の後は、パン工場に勤めたり、建築現場の溶接工したり現場監督したりと色々経験しました。その間にも沿海州の自然を自分なりに研究していましが、その時に沿海州の豹の動物学的価値に出会うことになりました。沿海州に生息する豹は大変貴重なものでこれを保護しなければいけないと「沿海州の豹保護基金」を2012年に設立しました。そして人々に対して、ヒョウの希少性はもちろん、沿海州の自然、植物まで啓蒙するような活動を始めました。そしてウラジオストクの人々と多く接することになって気付いたのが、ほとんどの人が沿海州の自然や歴史や風習について知らないということでした。歴史に詳しい妻とも話し合い、沿海州の自然のみならず歴史や文化についても知らせていくような活動をやっていこうということなりました。そして妻と一緒にアルセーニエフ博物館にお土産屋を出すと共に、館員として2年間勤務し、経験を積むことにしました。アルセーニエフ博物館では写真展やイベントも多く開催しました。写真展では極東ロシアの写真を撮り続ける著名写真家 福田俊司さん(Toshiji Fukuda)にも参加してもらったんですよ。そしてある程度の知識と経験を得て2014年に「ルナイグロシ(現ルナ&コット)」をOPENしたのです。
 
 
                           豹の保護基金は今では大きな活動となり注目を集めている
 
 
                          福田俊司さんは沿海州の自然の美しさを伝えるには欠かせない写真家
 
 
–人々がウラジオストクや沿海州の自然、歴史について知らない原因は何でしょう?
ウラジオストクは1860年にロシアの1都市として設立され、まだ160年の歴史しかありません。そしてそのわずか160年の間に大きな2つの戦争がありました。ロシア革命と第二次世界大戦です。その間にウクライナ、ポーランド、ドイツ、日本などから人が来ては出ていきました。ロシア国内を含めて人の流出入が激しく、あまりウラジオストクに故郷意識が芽生えず、それがウラジオストクの歴史、風習に無関心であった理由かと思います。
 
 
–お店ではどのようなものを扱われているのですか?
沿海州の歴史や文化、環境に関する書物を中心とした本のコーナーとお土産のコーナーがあります。お土産というよりは地元アーティストによるハンドメイド作品、彫刻、工芸品のようなものです。また中庭もあり、そちらでは沿海州にまつわる色んな講義をしたり、少数民族ウデゲやナナイのワークショップを開いたりもします。ウデゲ料理のワークショップを行ったこともありますよ。中庭にはウデゲの小さな住居があったり、ヒョウなどの彫刻作品があったりと面白い空間になっています。
 
 
                             お店に中庭でウデゲ族料理のワークショップ
 
 
–お店はご家族で運営されているのですか?
はい。私には2人の娘と1人の息子がいるのですが、長女イラ(Илла)と妻と私の3人で回しています。店内や中庭もほとんど私や家族の手作りですよ。
 
 
                             お店の棚から床までほとんどがヤンさんの作品             
 
 
                            造園家、芸術家でもあるヤンさんは中庭も自分で作る
 
 
–イラさんもご両親のように沿海州や活動に関心あるのですか?
(イラさんが回答)小さい時から両親にタイガを始めとした沿海州の自然に連れていかれ、自然と両親のような方面に関心は持っていると思います。ただ、私の場合は、色んな国にいって素晴らしいものも沢山見たりしているので、沿海州というよりは地球全てが私の住処、そんな意識の方が強いです。
 
 
–沿海州には少数民族、満州人についで、最も新しい住人としてロシア人ですがこれについてはどう思われますか?
ここのロシア人はロシア人というよりは沿海州人というのが私の見立てです。沿海州は海を挟んで日本、陸では中国、朝鮮などのアジアに囲まれており、半分はアジアに足を入れた状態です。そしてここの住人はウクライナを始めとした色んな土地から来ています。そのため半分はアジア的、半分はロシア的な面をもち、沿海州人というミックスされた状態になっているのだと思います。
 
 
–若いロシア人も沿海州人という意識でウラジオストクに残っていくのでしょうか?
若い子はわかりません。日本、中国、ベトナム、タイなどに旅行したり、アメリカに留学したりとどんどん出ていきます。ロシア国内でヨーロッパ側がいいとモスクワに行く人もいます。若い頃に我々が遠いカフカスからウラジオストクに来たように、若者はどんどん外に出ていくといのは自然なことだと思います。スペインの作家も言ってましたけど、世界は広いから見れるもの見て全部知らなければならないとありましたが、私も全く同意です。若者はそれでいいんですよ。

 
 

ドイツやラトビアの血が混じり、1万キロも離れたウラジオストクに故郷を見つけたヤンさん。その故郷の大自然や歴史文化の価値をウラジオストクの住人へなんとか伝えていこうとする一身な姿がとても心に響きます。ヤンさん家族の活動により、沿海州の歴史文化に愛着をもった沿海州人が増えてくれると、このアジアに囲まれた土地はさらに魅力的になっていくにちがいありません。

お店の紹介:http://urajio.com/item/1283



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