ウラジオストクで生演奏ステージを用意し、2006年より長い間人気を博すレストランバー「Sindicate」(現在はPort Cafeと統合)。このお店でOPENから現在までバーに立ち続けているのがセルゲイ・アレクサンドロヴィチ・バラノフさん(Сергей Александрович Баранов)。ウラジオバー文化の古参バーテンダーの1人であるセルゲイさんにバーテンダーになられた経緯やウラジオバー文化について伺ってみました。
–セルゲイさんはどちらのお生まれですか?
沿海州のダリ二ゴーリースキーという場所で生まれました。ウラジオストクからは500km位離れた場所です。祖先はウクライナやロシアの西側だったと聞いています。祖祖母は沿海州の少数民族ナナイ族です。ウラジオの住人には、私のような境遇の、血がミックスした人が多いです。
–セルゲイさんがバーテンダーになられたのはいつですか?
2002年頃です。私は大学時代にアルバイトしようと思って、募集チラシをみていて、なんとなしにカフェレストランでバイトすることになりました。そのお店は噴水通りにあって今のSVOYにあったお店でパパラッツィヤといいます。そこで飲み物を担当することになったのが私のバーテンダー人生の始まりです。
–小さい頃からバーマンに憧れていたのですか?
バーテンダーなんて全然考えてもいませんでした。小さい頃の夢といえば、ちょっと恥ずかしいですが公共バスの運転手さんです。小さい頃に公共バスにいって端から端まで良く乗ったのですが、そこで運転席を見て、私もバスの運転手になれればなぁと思いました。
小さい頃はバーテンダーでなくバスの運転手に憧れていた
–アルバイトから今にいたるまでの経緯を教えていただけますか?
バイトとしてパパラッツィヤで4年ほど勤めました。それから2006年12月に今のお店Sindicateが出来るに際し、オープニングメンバーとして働くことになりました。今2010年ですが、私はこのお店で約14年、通算で18年間バーテンダーとして生活しています。
2006年12月にOPENしたシンジケートで今も働く
–18年間のバーテンダー生活で辞めたり仕事を変えようという気持ちは起こりませんでしたか?収入のことや将来のことを考えて2-3度、他の道も考えたことはありますが、結局他の道には行かず今に至っています。
–この18年間でウラジオストクのバー文化に変化はありましたか?
私が仕事を始めた当時は、バーといえば、ナイトクラブのように賑やか、そして真っ暗な中というのが通常でした。そしてそこで出されるカクテルは、花が挿されたり、光がともったり、カラフルであったりといった見栄えの派手なものが中心でした。最近は、もっとシンプルなものが多いです。ウイスキーに少しリキュールを足したものとかが人気です。こういうシンプルでナチュラルなものが世界的なトレンドです。
仕事に慣れても、1杯1杯に集中することを忘れない
–そういうナイトクラブのような場所で仕事をしようとは思われなかったのですか?
実際少しナイトクラブのような場所で働いた経験はあります。ただ私には騒がしい場所は合っていないのがわかったので今の場所に落ち着いています。Sindicateのバーはそんなに騒がしくもなく、穏やかな空気感をもっているので、私の性格にも合っていると思います。私は元来の性格がおとなしめで穏やかなんです。
–他のバーのお店を覗くこともあるのですか?
覗くというよりは、単純に1人のお客として行くことはあります。よく行くバーとしては「ムーンシャイン」「アテリエルバー」です。2つともとてもいいバーだと思います。
–ご自宅ではどんなものを飲まれるのですか?
ワインとビールが中心で、ウオッカはあまり飲みません。ロシアではウオッカをそのまま小さなグラスで飲むことが伝統的にあるのですが、私はそういう飲み方は好きでないので、ちょっとのウオッカにハチミツやレモンを足して飲みます。
–セルゲイさんはよくお酒を飲まれるのですか?
お酒は好きですが、飲みすぎは毒なのもくれぐれも承知しているので、適量にしていますよ。
–ちなみに休日はどんな風にすごされるのですか?
2008年から自転車に乗っているので、自転車でルスキー島へいったり、行けるところはどこでも行きます。車もあるにはありますが、渋滞がひどいので基本的に自転車通勤です。あとは家が好きなので家でゆったりとすることが多いです。
–バーテンダーとしての勉強はどのようにされるのですか?
バーやカクテルに関する本を読むこともありますが、基本的には現場で身に着けていきます。
今、一緒に働いている若いバーテンダーがいますが、彼にも当初はいろいろと教えましたが、今は彼自身が興味を持って自分1人でいろんなことを試してやっています。それで私はいいと思います。
–海外のバー文化も勉強されたりするのですか?
勉強というほどでないですが、関心はあります。以前、誰もが知るカクテル「シンガポール・スリング」を生んだ聖地シンガポールラッフルズホテルのバーに行き、100年続くバーの空間に触れました。大変記憶に残る体験でした。また行ったことはないですが、日本のバーにも興味はあります。日本では80歳の高齢の方がお店に立ってバーテンダーとして尊敬されているというのを聞きました。一度日本にいってそういう本格的なバーに行って、その雰囲気を堪能できればと思います。
シンガポールスリングを生んだバーでオリジナルに触れる
–バーテンダーとしての重要な資質を教えていただけますか?
この質問は、シェフにとっての重要な資質と同じだと思いますが、自分の作るものに関心をもって、そして、1杯に集中しプロとしての仕事をしつつ、頭の隅で新しいものを考える、そんなのが私は重要でないかと思います。
12年間でスタッフは多く入れ替わる中、セルゲイさんは常にバーに立ち続ける
–最後にセルゲイさんが旅行者におススメするカクテルを教えてください。
2つあります。1つはお店自家製の果実酒です。マリーナー、レモンニックなどの沿海州産キイチゴを入れて手をかけて作っています。2つめはアスペルです。私個人的に大好きなカクテルで、ウオッカの味を感じさせないまろやかさ、そして甘酸っぱいのが特徴です。
元来の穏やかな性格もあって接客ではほとんど聞き役に回るというセルゲイさん。ウラジオに増えた多くの若いバーテンダーのようにエネルギーを表に出すという感じではないが、長い経験と忙しい時も落ち着いた腕裁きでいいベテランの味を感じさせてくれます。人の出入りの激しい中、常に居てくれるのもなんとも嬉しいし、そんなセルゲイさんを見に来る常連も多いといいます。古参バーテンダーが評価されるロシアではないが、日本と同様、セルゲイさんのようなベテランバーテンダーが羨望を受けるようになると素晴らしいと思います。
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