極東ロシアで唯一の軍服を着たガイドのヴィタリー・アナトリエヴィチさん(Козько Виталий Анатольевич)。常に軍服を着て街を案内する有名人。振る舞いも模範軍人のように紳士的で旅行者からの人気も高い。日露戦争への知識も深く、独自の日露戦争関連の観光コースを作ったりもしている。最近は観光や街の歴史に関する講演することも多いヴィタリーさんにお話を伺ってみました。
-ヴィタリーさんは軍事関係者ですか?
私自身は軍事関係者ではありませんよ。観光ガイドが主な仕事です。観光ガイドとしては個人事業主ですが、それ以外の仕事として博物館職員でもあります。最近は講演に呼ばれたりすることも多いですね。
-何年くらいガイドとして御仕事されているのですか?
20年以上経ちますね。ウラジオストクにいる現役のガイドとしては最古参の部類です。
-なぜガイドの仕事を始められたのですか?
母親の影響が強いです。母もウラジオストクのガイドとして仕事をしていました。私も若い自分は他の仕事をしたりしましたが、20年ほど前から、自分に適したガイドという仕事をするようになりました。
-ヴィタリーさんはいつも軍服を着用されているのですか?
はい、基本的に仕事している際は軍服を着ています。この軍服の格好で、市内案内もしますし、軍事基地跡のツアーを行なったりもします。
<
-なぜそのような軍服を着用されるのですか?
ウラジオストクには1800年代後半から軍港、極東の軍事基地としての役割がありました。私個人としても、ウラジオストクの通常の歴史はもちろん、軍事、戦争の歴史に強い興味を覚えました。そういう街の特徴、雰囲気を体現したくこういう格好でガイドすることになりました。
-旅行者にはきっと喜ばれるでしょうね?
そのようですね。写真撮影を要求されることも多いです。ガイドとしての仕事もお陰様で安定していただけます。
-ヴィタリーさんみたいに軍服を着たガイドは他にいますか?
なぜかわかりませんが、ウラジオストクでは私1人だけです。本当はもっといて良いと思うのですが、私以外常時軍服を着たガイドというのは全くいませんね。20年間みたことがありません。
-軍事基地、戦争関連のガイドなどもされるのですよね?
そうですね、私自身が軍や戦争の歴史、その方面の知識が多いので、軍時基地を回るツアーなどを行うことも多いです。また海外からの軍事研究者などにキチンとした関連資料を提供して、フィールドワークに協力する場合もあります。先日も日本の大学教授に軍事の歴史に関する資料を提供し、あまり人が入れない旧軍事施設を見て回ったりしました。
-ウラジオストクには多くの軍事施設があったのですか?
当時のロシアにとって日本は軍事敵国でした。そのためウラジオストクの日本海側には日本軍を想定した砲台、要塞跡が沢山あります。
-日本はロシアの敵国だったのですね?
そうですね、当時はそのように日露は敵国という状況でした。しかしウラジオストクの歴史を紐解いていくと、友好関係の歴史も沢山あるわけです。表の戦争とは違った、そういう友好の歴史もガイドする際は伝えるようにしています。現地ならではのストーリーも沢山ありますよ。
極東ロシアでは数少ない年季の入った、軍服ガイドを天職としているようなヴィタリーさん。ヴィタリーさんと話していると、1990年まで閉鎖軍事都市であったウラジオストクの空気が伝わってきて何とも面白い感覚がありました。コサックダンスで有名なコサック部隊にも関係を持たれているので今度はそちらのお話も伺ってみたいと思います。
ウラジオ交流事業のお問合せ お気軽に♪