ロシア皇帝時代の役人の邸宅を保存、公開したスハノフの家ミュージアム。そのミュージアムの受付、案内係として活躍するのがヴィクトリヤ・ドミトリーブナさん(Виктория Дмиториевна)。1900年初頭、祖父母の時代に朝鮮からウラジオストクにきた朝鮮系ロシア人である。そんな彼女に半生と今の生活を聞いてみました。
—-生まれはウラジオストクですか?
1900年代の初頭に祖父母が朝鮮からウラジオストクに来ました。その後、1936年にスターリンの政策により
カザフスタンに強制的に送られました。両親はカザフスタンに送られた2年後である1938年に生まれました。
その後、ウズベキスタンに移り、私自身はウズベキスタンで生まれました。6人兄弟で、1人は小さい時に亡くなりました。
—-なぜまたウラジオストクに住むことになったのですか?
研究者であった夫がウラジオストク出身だったんです。夫は仕事の関係でウズベキスタンに来たんです。というより私に求婚にきたんですね(笑)。そういう時代だったんですよ。周りの知人や家族は皆反対しましたが、夫の強い意思もあって、最後は両親を彼が説得してウラジオストクに来ることになったんです。ウラジオストクに来て30年強です。
—-ウズベキスタンから遠いウラジオストクでの生活は大変じゃなかったですか?
ずっと平穏ですよ。娘と息子もウラジオストクで産まれて、もう大きくなりました。上の娘が30歳、息子が27歳ですね。夫は8年前になくなりましたが、生活はおかげさまでずっと安定しています。幸せですよ。
—-スハノフの家での御仕事はどうですか?
スハノフの家での仕事は4年目です。その前もアルセーニエフ博物館で仕事していたので、かれこれ10年近く、博物館の業務に携わっています。主な業務は切符売って、カンタンな事務仕事することですが、
土日には館内を案内したりもしますよ。
—-朝鮮語は使うことあるのですか?
私の母国語はウズベキスタン語とロシア語です。恥ずかしいのですが朝鮮語(韓国語)はほとんどわかりません。
私は祖父母などの朝鮮語を聞いたりする機会がありましたが、娘と息子に関して言えば、まったくそういう環境がないので、挨拶さえもできません。完全にロシア語での生活です。みかけは朝鮮人ですが中身は完全にロシア人ですよ。
ウズベキスタンで生まれ、遠方のウラジオストクで暮らすというなんともダイナミックな人生に聞こえたのですが、本人はいたって淡々とされていました。ロシアの1.5%を構成する朝鮮系ロシア人の歴史と現在の生活をかいまみせてもらった気がしました。
ウラジオ交流事業のお問合せ お気軽に♪