ウラジオの街には様々なモニュメントがある。ロシア革命のレーニン、ロシア正教の布教者、ロシア海軍の大将など歴史的なモノと、アムール虎、海の男などウラジオストクの自然、風土を感じさせてくれるモノがある。海の男、ビソッツキー(ロシアの伝説ミュージシャン)を始めとした多くのモニュメントは海外旅行者の写真撮影スポットとなっている。
①1917年~1922年のロシア革命で活躍したウラジオストクの英雄戦士を称えたもの。13年の年月を掛け1961年に完成した。
②1941年6月22日~1945年5月9日迄の「大祖国戦争」で功績のあったソ連商船乗組員の功績を称えたもの。
③セルゲイ・ラゾというロシア革命時にウラジオストクで活躍し革命戦士。最後は日本軍に捉えられ死去したとされている。
④ニコライ・ムラヴィヨフ=アムルスキーという1800年代半ばに極東ロシアの国境線確定に功績あった総督。樺太に関し日本とも交渉した。
⑤体制批判でソ連から逃れ、後にノーベル文学賞のアレクサンドル・ソルイェニーツィンが1994年にウラジオストクを訪問したことを記念したもの。
⑥ロシア文学のシンボルである詩人プーシキン。極東ロシア発の高等教育機関である東洋学院の向かい、プーシキン劇場の横にある。
⑦アメリカ領事の妻として36年間ウラジオストクに住み、この地を愛したエレアノール・プレイを称えたもの。
⑧ソビエト政権批判を行い民衆のヒーローであった歌手ブラジーミル・ビソッツキー。ウラジオストクを訪問し、この地をこよなく愛した。
⑨漁師、商船人等の往来が多いウラジオストク。この街の象徴として「海の男」が立てられた。彼の金色の親指に触れると富がもたらされると言われる。
⑩ローマ神話における海の神ネプトゥーヌス。海の街であるウラジオストクもこの神の加護を受けられるようにと建てられた。
⑪1899年に設立した極東地方最初の高等教育機関である東洋学院の門を守る獅子。清朝からもたらされたと言われている。
⑫沿海州を代表する動物であるアムール虎。現在はウラジオストクのシンボル的動物になっている。
⑬その名も「虎通り」にある虎のモニュメント。アジムトホテルの裏側に位置する。
⑭絶滅の危機もあったアムール虎を保護していこうと立てられたモニュメント。ロシア人の子供たちに人気の仔虎。
⑮古い電話ボックスを残し、昔のウラジオストクの絵、写真などを中に置いている。
⑯イリヤ・ムーロメツという旧約聖書上の聖徒。ロシアで人気があり、神聖さ、精神性の象徴としてウラジオストクにも建てられた。
⑰1941年~1945年の「大祖国戦争」で功績あった兵士の活躍を描いた壁像。潜水艦の背後に位置する。
⑱日露戦争の旅順口の戦いで功績あった艦隊司令長官ステパン・マカロフを称えたもの。「マカロフ爺さん」と親しまれ、石川啄木も言及している。
⑲ロシア革命を成功させソビエト連邦成立に導いた指導者レーニンを称えたもの。駅前に湧然と立つ。
⑳ニコライ皇太子(左)、パベル・ウンテルベルゲフ沿海州総裁(中)、コンスタンチンスハノフ(右)がこの建物に滞在したことを称えて設置された。建物は1891年の築。
㉑ギリシャ語をスラブ語に翻訳しスラブ世界にキリスト教を布教したキリル(弟)とメテディウス(兄)の像。キリルによりロシア文字の原型が作られた。
㉒1800年半ば、海軍総督ゲンナジー・ネヴェリスコイは、ウラジオストクを含む極東ロシア、樺太の調査、探検で貢を成した。間宮林蔵と同時代で極東ロシアでは有名人。
㉓1860年に、ウラジオストクの初代首長ヤコブ・セミョーノフ。当地をロシア領として発展させた。名前は通り名にもなっている。
㉔1920年ウラジオストクに生まれ、アメリカで活躍した俳優ユル・ブリンナー。「十戒」「王様と私」などの演技で日本人にも馴染みがある。
㉕1904年の日露戦争においての極東ロシアで奮闘したロシアを称えた像。金色の像と赤茶色の磨石のコントラストが美しい
大体の位置を示したマップ⇓
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