日本人街旧跡
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ウラジオ発:旧日本人街「旧妹尾商店、堀江商店、太田商店」
堀江直造は1892年、22歳のとき西澤商店の社員としてウラジオストクに赴任した。その後1899年に自分で会社をもち果物、素麺などの売買をおこなった。 日本語名:旧妹尾商店、堀江商店、太田商店
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ウラジオ発:旧日本人街「旧朝鮮銀行」
松田銀行振を段階的に吸収し、1919年に朝鮮銀行浦潮斯徳支店とした。1922年まで日本の浦潮派遣軍と積極的な取引をおこなった。 日本語名:旧朝鮮銀行
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ウラジオ発:旧日本人街「旧杉浦商店」
1880年、アメリカと取引していた横浜の貿易商会がウラジオストクに支店を開設。横浜の本社が倒産したが、ウラジオストク支店の杉浦久太が支店の財産を相続し、杉浦商店とした。 日本語名:旧杉浦商店
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ウラジオ発:旧日本人街「旧松田銀行部」
日露戦争後の1907年に長崎市の十八銀行の支店として開かれた。ルーブルと円の換金、満州大豆の輸出で大きな利益を上げた。 日本語名:旧松田銀行部
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ウラジオ発:旧日本人街「旧日本人小学校」
1894年に浦潮本願寺の1室で開校。のちに当地の建物を購入し小学校とした。年に200人程度の生徒がいたが、1931年に閉鎖となった。 日本語名:旧日本人小学校
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ウラジオ発:旧日本人街「浦潮本願寺跡」
1886年、西本願寺はウラジオストクに初めての海外布教所を開いた。1904年の日露戦争で活動を一時停止。1937年には完全に閉鎖となった。 日本語名:浦潮本願寺跡
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ウラジオ発:旧日本人街「旧日本総領事館」
1876年,ウラジオストクに日本貿易事務館が開設。1909年に日本総領事館となった。 日本語名:旧日本総領事館
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ウラジオ発:日本人抑留者による建造物「集合住宅светланская 117」
1940年代後半から50年代初頭にかけて日本人抑留者によって建てられた。サーカスにほど近い。 日本語名:集合住宅светланская 117 住所:Владивосток,Светланская,117