「彼の頭はどうなってるんだ?」「彼の写真は何を伝えようとしているんだ?」「彼の創造性はどこから来ているんだ?」「彼は一体何歳なんだ?」とウラジオストクで異彩を放ちつつ、でも常に人々の関心を引いてやまない写真家 ミハイル・パーヴィン氏(Михаил Павин)。オフィシャルな肩書としては、写真家であるが、ソ連時代から今日まで、ロックミュージシャンや3Dプリンター作家等、様々な表現方法で時代を切り取ってきた。そんな彼の活動は、新潟市美術館担当者の心もつかみ2000年代には個展を開催させるまでにも至った。そして2025年、新たなる活動として自分の作業部屋を開放し人々を招き始めた。今回はオフィシャルでもアンダーグランドでも関心集めるミハイル・パーヴィン氏の作業部屋に赴き話を聞いた。

–写真家として活動するにあたった経緯を教えてください。
私の写真家としてのスタートは、他の人よりも遅くて、30歳頃からです。
ウラジオストクで生まれ、極東技術大学で海洋エンジニアを学び、当時では多くのロシア人がそうであったように、船乗りとなりました。船はロシアの魚や木材を運びましたが、機械室でエンジニアとして機械整備にあたりました。そんな感じなので特別に芸術学校等に学んだわけではありませんでした。ただ、そのような生活を送っている中でも、絵画や写真、音楽、特にアンダーグランドに対して興味があったため、画家やミュージシャンたちに誘われ、話を聞いたりということはしばし学生時代からしていて、そういった創作活動や芸術分野へすすむ布石はあったとおもいます。この部屋の元主人だった画家のアンドレイ.カマロフのもとにもよく話を聞きにいっていました。そして少しずつ自分の創作活動を始めていきました。初めは絵画をやったりしましたが、これは全くダメで、自分には才能がないのがわかり、写真の方に向かっていきました。


–写真家活動はいつからされていたのですか?
船乗りをしていた1970~80年代というのは、まだソ連時代で、外貨を一般人は持てない時期でした。
たまたま船乗りという海外とつながる仕事についていたため、日本と往来するときは、1日200円という日本円が支給されるという機会に恵まれました。日本に寄港した際に、すばらしいカメラを見つけてしまい、それが当時で約10万円と高価でしたが、どうしても欲しくて、200円を1年半貯めて、その日本製のカメラを手に入れました。それからです、私の写真家としての人生がはじまったのは。船乗りの仕事を終えたソ連崩壊間近である1980年代後半に写真家として自分の作品を世に出していくようになりました。
–ではミハイルさんの写真家人生に日本は少なからず関係していたのですね?
カメラを手に入れたのも日本ですし、日清のカップヌードルを始めて食べたのも日本、今も私の食卓に欠かせない醤油も日本です。この瓶は、父が香港に出張にいき、買ってきてくれたキッコーマン醤油の瓶です。今は中身だけはスーパーで売っている醤油になってしまっていますが、父との思い出でもあるし、使いやすいので今も使っています。そうそう、私の人生初の海外個展も新潟で、日本です。

今も現役の醤油瓶
–新潟で個展もされたのですか?
個展をしたというよりは、個展もしたというのが正確ですね。2008年にウラジオストク市の姉妹都市である新潟市が新潟港開港140年記念の特別行事として、新潟市美術館において「浦潮と呼ばれた街」という展覧会を行いました。この展覧会では、日本とウラジオストクを往来した日本人や、日本の船に関する絵画、その当時の船の切符等を中心として展示がされたのですが、そこにソ連時代、ソ連崩壊、そしてロシアとなった今といった激動のウラジオストクも写真や絵画として加わることになりました。更に私は、そのテーマによる展覧以外にも、その開期中に小さなスペースを私個人の写真展として日本の方に見せる機会を得たのです。この時に新潟に居たのは10日でしたが、本当に今でも忘れられない青春のひと時です。渡航費、滞在費、そしてこの貴重な機会を提供してくれた新潟市と新潟市長には感謝の気持ちで一杯です。その開期中は、新潟市を観光、散歩する時間もあったのですが、街のどこをみても、「浦潮と呼ばれた街」のポスターが貼ってあって、凄いなとロシア人の同行者一同で驚いていたものです。今もこの時のポスターを部屋に貼っていますよ。
新潟滞在時の街やギャラリーでの写真

–元々、海外で展示したいという気持ちはあったのですか?
海外で自分の作品をみてもらいたいとか、何かを展開したいというのは考えたことがないです。
この新潟の展覧会も、木村さんという新潟市美術館の方が、たまたまウラジオストクに来て、アートエタッシュで打ち合わせをしているときに、たまたま私の作品を目にして、急遽、展覧会の一部に組み入れてくれたんです。新潟側にとっても、私にとっても予期せぬ形で実現したんです。

新潟市美術館の目録にも乗るミハイル・パベル氏の作品

新潟へ行くきっかけをつくってくれた新潟市美術館職員さん
–日本以外でも展覧会に参加されたりしたことはありますか?
展覧会ではないですが、2002年に2か月だけ中国吉林省の大学で教鞭をとったことがあります。当時、中国ではまだアートとしての写真がそれほど普及してなく、教育もすごく後れをとっていました。そこで私に白羽の矢が立ち、中国の学生たちに教えるようになったのです。教えると言っても、毎朝、私が課題を出して、次の朝に学生たちが課題を私に提出するというシンプルな形のものでした。もし課題をすぐやってしまえば、その学生は残りの時間は自由時間として使え、自分の好きな事に取り組めるわけです。私は、学校でアートや写真を学んだことがないので、学校でどのように教えるかということは全く知らず、自分なりに手探りしてこの方法にいたりました。私自信が学生の立場であれば、自由時間というのが何よりも嬉しく、かつ創造活動を志す人にとっては貴重なものになるだろうとおもったからです。
–ミハイルさんは写真以外にも音楽をされたり、映像を作られたりと様々なことをされていますが、創作活動の源泉やインスピレーションみたいなものはどこから得ているのでしょうか?
特にそういったものはないです。自分がやりたいと思っていることをやっている、ただそれだけです。
–テーマも特にないのでしょうか?
全くないです。私の作品を評価してくれるアート業界の方で幾度となく、テーマをもって1つのことを撮り続けないと、写真家としてなかなか商業的に成功することができないと言われました。女性を撮り続けるのであれば女性を、屋根を撮り続けるのであれば屋根を、自転車を撮り続けるのであれば、自転車を、1つのテーマを決めてやり続ければ、商業的には売りやすいという話でした。特に欧米市場を見据えた場合、屋根のミハイル.パーベンとか、自転車のミハイル.パーベンとか、そんな風に1つのテーマを決めないといけないんです。私は好きなことをやる、好きなことを撮るということがやりたくて、何かを固定してそれを続けるというのは、できない性分で、今日まで来てしまいました。



今、熱中している中国市場で仕入れたミニポラロイドカメラでの作品
–今の戦争で欧米市場とロシアが分断されてしまっていますが、ロシアのアート業界はどのように対応しているのでしょうか?
ロシアの美術、アーティストたちは、欧米市場を1つのターゲットとして作品を展開してきました。欧米の大きな影響を受け、そして欧米の市場をめざしてきたというわけです。ご存知のように、ここ3年はそのチャンネルが閉じてしまったわけです。そのような環境の中で、ロシアのアーティスト、アート業界は、新たなチャンネル、表現場所を探さざるをえない状況にいます。ある者は、アジアに目を向け隣国の中国に活路を見出そうとしますし、ある者は、ロシア国内で自分の位置、表現場所を確保していこうとします。私もその流れに漏れず、自分の表現場所を探るという意味で、この自宅兼アトリエをギャラリーKとしてOPENするにいたったわけです。各人が模索中というのが、現状で、これから新しい何かが生まれてくるかと思います。
–ギャラリーKは、誰でも見ることができるのでしょうか?
平日は私が不在のことが多く、忙しいということもあるので、基本的には土日に開放しています。事前に私に電話予約してくれれば、それで大丈夫です。VLなどのウエブサイトにも私の電話番号を掲載しているはずです。掲載しているはずというのも、私自身がスマートフォンを持っていないので、あまりよくわかっていないんです。

ギャラリーKは作業スペースと展示スペースからなる
–ギャラリーKの入場料はいくらでしょうか?
無料でおこなっています。私が好きでおこなっている創作活動を見てもらう場ですから、無料でいいんですよ。
わずか100ルーブルのお金でも入場料として頂くようになってしまうと、税務署とのやりとりをしなくてはならなくなって、手間となるので、むしろ無料が私にとってはいいのですよ。私は、昔から自分の創作活動と、お金は分けて考えるようにしています。創作活動とお金が同じ土俵に上がったら、必ずお金が勝ってしまいますから。
–ギャラリーKではどんなものを見ることができるのでしょうか?
私の師匠であり、同居人であったアンドレイが残したモノや、彼と私が生活してきた空間、そして私が現在その魅力と可能性にとりつかれて取り組んでいる3Dスキャナーを使った作品群、もちろん写真作品も見ていただくことができます。気軽にきて見てほしいとおもっていますよ。お茶でもゆっくり飲んで語り合おうじゃないですか。
ミハイル・パーヴィン氏のギャラリーKに関するロシア語記事:https://www.newsvl.ru/vlad/2025/03/29/230726/

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